歌舞伎の舞台名所を歩く 阿古屋塚『壇浦兜軍記』 |
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『壇浦兜軍記』(だんのうらかぶとぐんき)「阿古屋琴責めの場」、景清の行方を聞き出そうと、遊女阿古屋を拷問にかけようとする岩永左衛門。すると秩父庄司重忠は阿古屋を拷問の責め道具は、既に用意してある、と言います。その責め道具とは琴・三味線・胡弓でした。阿古屋が奏でる音色を聞いて、嘘を言っているのか、本当のことを言ってるか判断しようというのです。 重忠は琴・三味線を弾かせ、最後に「それ胡弓すれすれ」と命じます。 |
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あいと答えて気は張り弓、歌は哀れを催せる、時の調子も相の山、 ト胡弓をすり、 吉野竜田は花紅葉、更科越路の月雪も、夢とさめては跡もなし。あだし野の露鳥辺野の、煙は絶ゆる時しなき、これが浮世の誠なる。 トよろしく胡弓終わる。 誠をあらわす一曲に、重忠ほとんど感じ入り、 重忠 阿古屋が拷問只今限り、景清が行衛知らぬと言うに、偽りなきこと見届けたり。この上はお構いなし。 (『名作歌舞伎全集』第3巻、106-107頁) |
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この一幕、阿古屋の台詞、地の文ともに名文で聞かせます。 |
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歌川国芳「見立十二支之内 未 阿古屋・岩永宗連 [嘉永5(1852)年] (『奇想の天才絵師 歌川国芳』(新人物往来社, 2011)34頁より) |
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阿古屋塚は六波羅蜜寺にあります。 京阪電車「清水五条」駅で下車し、五条通りを南に5・6分歩き、左へ曲がります。 すると、六波羅蜜寺の前に出ます。 入口に由緒があります。 山門はなく、門を入るとすぐ左に都七福神の弁財天、右に本堂、その間に仏像が建ち、その後ろに塚が見えます。 左が「平清盛公塚」、右が「阿古屋塚」です。 正面から見てみます。右から「阿古屋塚」、「奉納 五代目坂東玉三郎 平成二十三年十一月吉日 純性」、そして説明の石碑が並んでいます。 説明の文には、『壇浦兜軍記』の三段目「阿古屋琴責め場」が簡潔に説明されています。 石像宝塔のクローズアップです。 歌舞伎役者の坂東玉三郎が、「阿古屋塚」として後世に残すことにしたことは、最大の供養と言えるでしょう。玉三郎の阿古屋役に対する強い思い入れが感じられます。 |
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『壇浦兜軍記』の初演は人形浄瑠璃として享保17(1732)年、大阪・竹本座。歌舞伎に移入されて初演されたのは寛政8(1796)年、江戸・桐座。 国立劇場の初演は昭和59(1984)年12月、傾城阿古屋は6代目中村歌右衛門、秩父庄司重忠は10代目市川海老蔵(後に12代目市川團十郎)という配役。 |
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国立劇場昭和59(1984)年12月公演ポスター (『歌舞伎ポスター集-国立劇場開場25周年記念-』(日本芸術文化振興会, 1991年刊)より) この時は1幕としてでしたが、平成9(1997)年正月には、国立劇場開場30周年記念と銘打って、4幕の通し狂言として舞台にかかり、2幕目が「堀川問注所琴責の場」でした。現在ではこの1幕しか上演されませんので、これは大変珍しい舞台でした。阿古屋は坂東玉三郎、岩永は片岡我當、その後玉三郎は歌舞伎座などでも演じましたが、阿古屋を演じる役者は今他に見当たりません。それほど難しい役と言えます。 「阿古屋 堀川問注所の場」(『歌舞伎定式舞台集』64頁より) 金山平三「琴責」 油彩 兵庫県立近代美術館蔵 (中山幹雄『歌舞伎絵の世界』(東京書籍, 1995)94頁より) |
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(2018(平成30)年5月20日) | |