歌舞伎の舞台名所を歩く

  義人社 
『仮名手本忠臣蔵』十段目


 (1)

『仮名手本忠臣蔵』十段目は「天川屋の場」です。

義士の装束武具を鎌倉へ送る当日、捕り手たちが突然踏み込んできて天川屋を取り囲みます。

捕一 ヤア、いよいよ以ってうろんな曲者。中々大抵では白状致すまい。申し合わせた通り、計らい召され。

捕二 心得申した。

 一間へ駆け入り、一子由松を引き立て出て、
 ト一人、奥へ入り、以前の由松を、小脇にかゝえて来る。

サア、義平、長持の中はともあれ、塩谷の浪人一党に固まり、師直を討つ秘密の段、よく知りつらん。有様に言えばよし、言わぬと忽ち伜が身の上。コリャ、これを見よ。

 と抜き刀、稚なき咽喉に差しつけられ、はっと思えど色も変えず

 ト由松の咽喉元へ、抜身を突きつける。義平思入れあって、

義平 ハゝゝゝゝゝ女童を責めるように、人質取っての御詮議。天川屋の義平は男でござるぞ。子にほだされて存ぜぬことを、存じたとは得申さぬ。かつて何にも存ぜぬ知らぬ。知らぬと言うたら金輪奈落、憎しと思わばその伜、我が見る前で殺した殺した。
(『名作歌舞伎全集』第2巻、121頁)

「天川屋の義平は男でござるぞ」、有名なせりふです。


歌川貞升「天川屋義平」
〔描かれているのは7代目市川團十郎〕
(「七代目団十郎と国貞、国芳」展図録(岐阜県立美術館, 平成13年)21頁より)


(2)

山科の大石神社を参拝した時、本殿の左の方に小さな社があるので行ってみます。



「義人社」とあります。



説明板です。




十段目の主人公・天川屋義平は勿論天野屋利兵衛(寛文元(1661)年)- 享保18(1733)年)で、この神社は利兵衛を祀ってあります。

九段目「山科閑居の場」縁の山科に来て、大石神社と義人社のことを知ることができたのは、思いがけない発見で、嬉しくなりました。


  
(3)

十段目が上演されるのは極めて稀です。

少ない上演記録を見ると、昭和40(1965)年12月に、歌舞伎座で8代目坂東三津五郎が演じています。


(吉田千秋『写真忠臣蔵』(カラーブックス、保育社, 1983)114-15頁より)


国立劇場では開場20周年記念として、昭和61(1986)年、10月から3ヶ月に渡る通しで『仮名手本忠臣蔵』が上演されました。画期的な公演でしたが、12月にこの場が出て、天川屋義平を演じたのは中村富十郎でした。

また平成28(2016)年には開場50周年記念として、同じく3ヶ月の通しで、この時は中村歌六が演じました。

今度十段目が舞台にかかるのはいつで、誰が演じるでしょうか…(もう観れそうにありませんが)。


ちなみに落語の小咄に「天野屋利兵衛」がありますが、これは艶笑落語(バレ噺)です。
   


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(2018(平成30)年7月13日)
 
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