歌舞伎の舞台名所を歩く

  道明寺
『菅原伝授手習鑑』(道明寺)


 (1)

『菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅ てならいかがみ)』、四幕目「河内国道明寺の場」の幕切れ。

九州に流罪になった菅丞相は、警護の判官代輝国のはからいで、河内の国に住む伯母覚寿の館を訪ねます。覚寿の下の娘・苅屋姫は丞相の養女でしたが、別れの時がやってきます。

丞相 今鳴いたは確かに鶏。あの声は子鳥の音、子鳥が鳴けば親鳥も。

 泣くは生(しょう)ある習いぞと、心の嘆き隠し歌。

鳴けばこそ別れを急げ鶏の音の、聞こえぬ里も暁もがな。

 (『名作歌舞伎全集』第2巻、188-89頁)


よく知られた和歌です。

苅屋姫は覚寿の打掛に隠れて、丞相と顔を見合わせ、おづおづと丞相の袂を掴みます。丞相はそれを振り払って平舞台に降りると、苅屋姫も下り、二人とも憂い思い入れ。丞相が花道へ行くと、苅屋姫は泣き崩れるのでした。


(2)

近鉄南大阪線「道明寺」駅で下車します。




◆道明寺天満宮

「道明寺」は一つと思っていたら、地図には「道明寺天満宮」とあり、別に「道明寺」があります。



まず近くの「天満宮」に向かいます。5分程度で着きます。

道明寺天満宮の山号は蓮土山、真言宗御室派の尼寺です。





門をくぐり右を見ると、さざれ石と撫で牛が目に入ります。牛は天神様のお使いとして知られます。



本殿の建物は歴史を感じさせます。右に鳥居が見えます。



行ってみます。くぐって進むと、もうひとつあり、そこは梅園の入口です。



ぐるっと回ると、孝夫時代の現・仁左衛門が奉納した献木があります。「平成7年2月 菅原伝授手習上演成功祈願」とあります。歌舞伎座で「道明寺」の菅丞相を初役で演じた時のものです。



平成10(1998)年に15代目片岡仁左衛門を襲名後、再び歌舞伎座で菅丞相を演じます。



境内社がいくつもありますが、その中に、



白太夫社というのがあり、「菅公大宰府への途次の道案内をした従者白太夫を祀る」とあります。






(3)
 
◆道明寺

近くに「道明寺」があります。山号は蓮土山、真言宗御室派の尼寺です。







ご由緒には、神仏分離により道明寺天満宮と分離された、とありますが、菅原道真に所縁のお寺であることに変わりはありません。道明寺の「道明」は、道真の別名にちなんでいるのを初めて知ります。



山門の正面に見えた建物の右にも門があり、左が本堂ですが、その前に平らな丸い石があります。また小石でいくつかの漢字がかたどられています。このようなのを見るのは初めてで、説明板はなく、どのような意味合いを持つのかはわかりません。



「観世音」の文字が見えます。脇に「菅公御作 十一面観世音菩薩」の石碑がたっていて、ご本尊は十一面観世音菩薩立像です。国宝に指定されていて、拝観日は正月の3が日、毎月18, 25日とあります。



境内には菩提樹があるのも印象に残りますが、句碑が2基並んでいます。手書きか毛筆の文字が刻まれていますが、いいですね、このような文字で書かれた句とか和歌は。たとえ意味はよくわからなくとも。



帰り道、パス停の近くに、石垣で囲まれたところがあります。



近寄ってみると、「古代道明寺五重搭礎石」の石碑と礎石が一つあります。この辺り一帯は広大な道明寺の境内だったようです。



   
(3)

『菅原伝授手習鑑』の初演は延享3(1746)年9月、京都・嵐座。人形浄瑠璃として8月に竹本座で初演されすぐに歌舞伎化されました。

「道明寺」はめったに舞台にかかりません。また「寺子屋」のように一幕で上演されることもないでしょう。

昭和41(1966)年11月、国立劇場開場記念公演の通し狂言として四幕目に上演されました。この時の配役は菅丞相は17代目中村勘三郎、苅屋姫は現・片岡秀太郎、覚寿は2代目中村鴈治郎。

昭和56(1981)年11月には国立劇場開場十五周年記念として再演されました。菅丞相は13代目片岡仁左衛門、苅屋姫は現・坂東玉三郎、覚寿は3代目實川延若。

歌舞伎座では道明寺天満宮で見たように、平成7(1996)年、と14(2002)年に、当代の仁左衛門が菅丞相を演じましたが、芸の伝承というものを感じます。

2020年2月には、父の13代目の27回忌追善として、歌舞伎座の昼の部で再演しました。13代目の菅丞相は「神品」と讃えられましたが、その言葉は今や当代にも当てはまるのではないでしょうか。



 鳥居清光画 歌舞伎座 2020年2月
   


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(2018(平成30)年8月5日)
 
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