歌舞伎の舞台名所を歩く

  江戸歌舞伎発祥の地碑


 (1)

初代中村勘三郎について、『江戸名所図会』(角川書店刊)に、

昔禁闕(きんけつ)及び営中に於ても、猿若の狂言をなし、または官船安宅丸大江戸の川口へ入津(にふしん)の時、網引の音頭諷(うた)を諷はしめられし折から、御褒賞として、賜はる所の金のさい、ならびに猿若狂言の衣装及び御簾の揚巻等、今猶その家に伝へる重宝とす。

官府の免許を蒙り、江戸中橋において始めて太鼓櫓を掲げ、猿若狂言尽の芝居を興行す。(これ大江戸常芝居の始元なり)(上巻、136-37頁)

とあり、「猿若」については、

  お国歌舞伎の時代にツレとして道化を演じた者を猿若といった。初代勘三郎は大蔵流の狂言をよくし、若衆歌舞伎の猿若役者だったろうといわれる。

との脚注があります。  


中橋(なかばし)とはどこか、次の記述が参考になります。
 
  中橋という名は江戸のあちこちに見られるが、この中橋は、俗に言う中橋広小路のことで、今の呼び方でいうと、東京駅前の八重洲通りである。かつてはこの橋の下に堀があったが、江戸中期に埋立てらたので橋はなくなったが、中橋広小路の呼び名はそのまま残っていた。

ここは江戸歌舞伎発祥の地で、寛永元年(1624)猿若勘三郎が官許され、はじめて芝居興行をしたところである。

これが同9年禰宜(ねぎ)町(神田鍋町のあたり)へ移り、つづいて慶安4年(1651)堺町へ移された。


『江戸名所図会を読む』(東京堂, 平成2年)50頁)

この本の挿絵から、当時この辺りは賑やかな繁華街だったと想像できます。芝居小屋を建てるのですから、それはそうだったのでしょう。

 
(2)
 
江戸歌舞伎発祥の地の記念碑がたっています。



地下鉄銀座線「京橋」駅で下車、中央通りを銀座の方に、「銀座京橋」の文字のある高速道路のガードが見えます。その手前です。

ちなみにこの向こうは銀座一丁目、通りの反対側には警察博物館があります。



右に見えるのは「京橋大根河岸」の石碑です。





左右に日本語と英文の説明が刻まれています。

 
   
上部にある紋は中村屋の定紋「角切銀杏」(すみきりいちょう)です。



踊っているのは、無論中村勘三郎でしょう。



ぐるりと回ってみます。









最後に記念碑の勘亭流の文字をもう一度見ます。大谷竹次郎(1877-1969)は、双子の兄松次郎と松竹を創業した実業家。



現在この辺りに芝居の雰囲気を感じさせるものは何もありませんが、この記念碑の前に立って、江戸の芝居町の賑いを連想するのも一興です。



お読みいただきありがとうございました。

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(2018(平成30)年10月11日)
 
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