歌舞伎の舞台名所を歩く

  合邦辻閻魔堂
『摂州合邦辻』
(大阪市浪速区)


 (1)

菅専助ほか作『摂州合邦辻』(せっしゅう がっぽうがつじ)、通称「合邦」の下の巻の「合邦庵室の場」、あらすじの一部を事典から引用します。

天王寺西門で閻魔堂建立の勧進をしていた玉手の父親合邦は、落ちぶれ果てた盲目の俊徳丸やその許嫁浅香姫らに出会い、自分の家に伴った。ある晩、合邦夫婦が、不義を働いた娘はもはや殺されたものと諦めて供養をしていているところへ、俊徳丸を慕って玉手が夜道を訪ねてくる。そして人々の諫めをも聞き入れず俊徳丸に激しく言い寄る…(以下略)
 (『歌舞伎事典』(平凡社, 1983)より)

玉手の台詞です。
 
  ヤア、恋路の闇に迷うた我が身、道も方も聞く耳持たぬ。もうこの上は俊徳丸様、何(いず)れへなりとも連れのいて、恋の一念通さでおこうか。邪魔しやったら、赦さぬぞ。
 (『歌舞伎オン・ステージ 15』(白水社, 2001)108頁)

 
この姿を見た合邦は…。


(2)

合邦辻閻魔堂の所在地です。

 

大阪メトロ「四天王寺前夕陽ケ丘」駅で下車、四天王の方へ向かいます。西門を右に曲がり、逢坂を下ります。




やがて通天閣が見えてきますが、十字路の交差点を渡ると、



合邦辻閻魔堂が右手にあります。





ご由緒です。



石碑とその後ろと



入口の左に書かれている大きな文字を読んでみます。



普通の家の玄関のような入口を入って、手を合わせます。



お参りを済ませて逢坂を上ろうとすると、右にハルカスが見えます。通天閣と合わせていかにも大阪らしさを感じさせるところに合邦が辻閻魔堂はあります。




(3)

『摂州合邦辻』の歌舞伎としての初演は明治18(1885)年、桐座。

「合邦辻」の由来は諸説あってはっきりしないそうですが、芝居では玉手御前の父親の「合邦」という名前から、つまり登場人物の名が由来であるとしています。


昭和43(1968)年6月、国立劇場で4幕6場の通し狂言として初演(第16回歌舞伎公演)されました。


国立劇場公演ポスター
(『歌舞伎ポスター集-国立劇場開場25周年記念』(日本芸術文化振興会, 1991年)より)

昭和49(1974)年3月(131回歌舞伎公演)とその後も何度か再演されています。

歌舞伎座では何といっても6代目の中村歌右衛門の舞台が忘れられません。昭和64(1989)年5月の團菊祭でした。

その後玉手御前は先代の中村芝翫、尾上菊五郎も演じていますが、最近では尾上菊之助も平成27(2015)年5月の團菊祭で初役で演じました。菊之助がどんどん芸域を広げているのは嬉しいことです。この時の配役は、合邦道心=中村歌六、俊徳丸=中村梅枝、浅香姫=尾上右近。


   
お読みいただきありがとうございました。

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(2019年5月12日撮影)
 
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