歌舞伎の舞台名所を歩く

  極楽寺山門
『青砥稿花紅彩画』


 (1)

河竹黙阿弥作『『青砥稿花紅彩画』(あおとぞうし はなのにしきえ)』、通称「白浪五人男」の三幕目大詰は「極楽寺山門の場」。

大薩摩の出です。

それ桜花爛漫と今を盛りの法(のり)の庭、仰げば高き山門の梢(こずえ)に花の白波や、寄せては返る山風につれて散りゆく花吹雪、精舎(しょうじゃ)の鐘ぞ音高し。

この場の大屋根での大立廻りは、歌舞伎の殺陣(たて)の中でも、最も美しく、最もワクワクさせる一つです。

そして弁天小僧が立腹を切ると、大屋根が上向きで「あおり返し」となります。すると山門がせり上って登場するのは日本駄右衛門、さらに青砥藤綱がせり上がってきます。

「楼門五三桐」の趣向を借りたものですが、勝るとも劣らない名場面です。

五右衛門の「絶景かな、絶景かな」に当たる名台詞は、
 
  駄右 (キッと思入れあって)
春眠暁を覚えずと、昨夜(ゆうべ)の夢の覚めやらで、山さえ眠る春の夜に雪と見まごう花盛り、朧の月も一層(ひとしお)と四方(よも)と眺めてついとろとろ、まどろむ寝耳に打ち立つる二六時中の時ならで、音色烈しき寄太鼓、合点行かずと見おろせば、この極楽寺を十重二十重囲むは我を召し取る人夫、星にはあらで提灯の光りまばゆき星月夜、はて仰山な振舞いだなあ。
(『名作歌舞伎全集』第11巻、124頁)  


(2)

極楽寺の場所は、



江ノ電の「極楽寺」駅を下りて数分で着きます。





ご由緒です。



昔もそうだったのでしょうが、南禅寺のような高楼ではなく、想像力を働かせます。



歌舞伎の舞台は、

  本舞台朱塗の山門、極彩色、鍍金(めっき)金物附き、同じく高欄(こうらん)、左右の桜の梢、すべて極楽寺山門上の体。

 
境内は撮影禁止で、残念ながらこの先の写真はありません。

 



(3)

『青砥稿花紅彩画』の初演は文久2(1862)年3月、市村座。作者48歳。

数ある黙阿弥作の中でも、というより全歌舞伎狂言の中でも、最も人気のある芝居の一つと言ってよいでしょう。

昭和46(1971)年3月、国立劇場では3幕9場の通し狂言として上演されました(第39回歌舞伎公演)。弁天小僧菊之助に尾上菊之助(現・7代目尾上菊五郎)、日本駄右衛門が17代目市村羽左衛門でした。

昭和59(1984)年3月にも同じ配役で再演されました(第125回歌舞伎公演)。菊之助は既に菊五郎を襲名していました。

よく舞台にかかるのは「浜松屋の場」「稲瀬川勢揃いの場」で、その時は『弁天娘女男白浪(べんてんむすめめおのしらなみ)』の外題が用いられるのがふつうのようです。

何度観ても、歌舞伎の面白さ・素晴らしさを堪能させてくれる一作で、これからも楽しみです。  
   


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(2018(平成30)年7月22日)
 
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