歌舞伎の舞台名所を歩く

  日枝神社
『番町皿屋敷』『お祭り』 


 (1)

岡本綺堂作『番町皿屋敷』、第1場は「麹町、山王下」。旗本青山播麿は、町奴とあわや喧嘩になるところを通り合わせた伯母の真弓に止められ、意見されます。水野十郎左衛門らの白柄組と幡随院長兵衛らの町奴は対立していて、播麿は白柄組の暴れん坊だったのです。

真弓 これ、播磨。こゝは往来じゃ。詳しいことは屋敷へ来た折に言いましょうが、武士たるものが町奴とかの真似をして、白柄組の神祇組のと、名を聞くさえも苦々しい。喧嘩がなんで面白かろう。喧嘩商売はきょうかぎり思い切らねばなりませぬぞ。

                         (中略)

そちが悪あがきをするというも、一つにはいつまでも独り身でいるからのことじゃ。この間もちょっと話した飯田橋の大久保の娘、どうじゃ。あれを嫁に貰うては。

播磨は苦笑するのみでした。

  伯母様は苦手じゃ、所詮あたまは上がらぬわ。
 
そして幕切れ、一瞬ですがいい場面です。

  (風の音して桜の花ちりかかる)

おゝ、散る花にも風情があるのう。どれ、そろそろ帰ろうか。

(以上、『名作歌舞伎全集』第20巻、197頁より)

続く第2場が「番町青山家の座敷」で腰元お菊が登場しますが、その件(くだり)については、これからご覧になる方のために伏せておくことにします。

『番町皿屋敷』の初演は大正5(1916)年2月の東京・本郷座。

昭和58(1983)年6月、歌舞伎座では中村歌六と中村時蔵、
平成元(1989)年 10月には国立劇場で、この時は中村福助(現・中村梅玉)と中村松江(現・中村魁春)が播磨とお菊を演じました。

国立劇場では、歌舞伎鑑賞教室でも取り上げられました。


(2)

「山王」は山王社を指し、千代田区永田町に鎮座する日枝神社のことです。



日枝神社へは地下鉄丸の内線「赤坂見附」駅で下車、外堀通りを歩くと、左に大きな鳥居が見えてきます。



石段を上ります。『番町皿屋敷』の舞台はちょっとこんな感じなのを思い出します。



境内案内図を見ます。



南神門を曲がるところに石があります。



「さざれ石」というものを初めて見たのは、昔この神社に最初に初詣に来た時に見たこの石でした。その後何か所かで見ましたが、いつもここの石を思い出します。



神門に向かうと、前を巫女さんが歩いています。



ここは「神門」で、後ろの男坂から上る人も少なくありません。



門を通って振り向くと、こちらには神社名ではなく、「皇城之鎮」とあります。

本殿の前には、何かのお祓い場所が設けられています。



二人の白装束の巫女さんが太鼓を打っていますが、境内に響くこの荘重な音、聞いていてなかなか良いものです。



お参りする人が後を立ちませんが、形の良い二本の松に目が行きます。



野点が開かれていて、大きな朱の傘のところでお茶をいただく人の姿があります。



長い藤棚、この時期にも来て見てみたいものです。



お祭りの期間だからでしょうか、神輿をまじかで見ることができます。



神輿の右には山車人形の「御幣をかつぐ猿」、絵馬の図柄もこの人形からとられています。



お揃いの法被、祭りには欠かせません。



お参りも済ませ、境内はくまなく見たので、稲荷参道を下りることにします。



石段を下りて左へ行くと、最初に通った鳥居のところへ出ます。「溜池山王」駅で地下鉄に乗ることにして、外堀通りを進むと、いつ出来たのか、こちらにも鳥居と石段、エスカレーターまであります。




(3)

歌舞伎舞踊『お祭り』は山王祭を舞踊化したもので、通称「申酉(さるとり)」というのは歌詞からきています。

  さるとりの、花も盛りの暑さにも、まけぬ気性の見かけから。

  ト浅黄幕切って落とす。

言わずと知れしお祭りの、形(なり)もすっかりそこらじゅう、行き届かせて、こぶもなく、こゝではひとつあそこでは、頭々と立てられて、御機嫌じゃのと町内の、家主方も夕日かげ、風も嬉しく戻り道。 
(『名作歌舞伎全集』第24巻、116頁)

 
『お祭り』の初演は文政9(1826)年、江戸・市村座。

たびたび舞台にかかっていますが、忘れることができないのは、昭和60(1985)年 9月、17代目中村勘三郎が踊った歌舞伎座の舞台です。『演劇界』を引用します。

  かつて大病から復帰の舞台で演じ今回も快気第一回で踊る〈お祭り〉は勘三郎にとって、大変に縁起のいいい演目です。「待ってました」「待っていたとは有難い」の客席との交流が実に楽しい舞台です。粋といなせを代表する鳶頭のほろ酔いの振りには、勘三郎独特の目づかいが大きな効果を発揮します。浮きたつ清元の名調子にのって角切銀杏の首抜きの浴衣、裁着けの足元も軽やか明るく賑やかな一幕でした。(『演劇界』10月号、41頁) 

大向こうから「おめでとう!」の声もかかりました。勘三郎も嬉しかったことでしょうし、歌舞伎ファンも待ち焦がれた日でした。

 
(4)

徳川将軍家の産土神として崇められた山王社の祭りは天下祭と呼ばれました。

本祭りは隔年で、2018年はその年に当たります。



6月8日の「神幸祭(じんこうさい)」の巡幸は、7:30 神社を朝出発し、国立劇場・丸ビル・ 「山王御旅所」である日本橋摂社日枝神社(中央区日本橋茅場町1丁目6番16号)、京橋・銀座・新橋を通って、5時前に「御還御」の予定とのことで、三宅坂の国立劇場の前で待ちます。

10時40分頃に先頭が見えてきます。右折して劇場に入ります。交通規制はしていないので、約300メートルの行列が全部渡るには時間がかかります。



大勢のファン・報道関係者・タウン誌等の取材と思われる人たちが待ち構えています。



長い行列で、





日枝神社で見た御幣をかつぐ猿の山車人形もやってきます。





少したって、町内の神輿も入ってきますが、子供たちは可愛い大きな声をあげて暑いのに元気いっぱいです。

三基の神輿は一度下して並べられ、



この前で、何か儀式があります。





ここは休憩場所で、ここに来るまで暑い中を長時間歩いているので、みなさん水分をとって、またパンなどを食べて一息つきます。



馬も一休みです。



そろそろ出発の時間が来たようです、囃子方を乗せた車が行き、山車が続きます。









内堀通りを下って皇居坂下門に向かって行きましたが、沿道でも大歓迎されることでしょう。


ちなみに山王祭は勿論『江戸名所図会』に描かれていますし、月岡芳年の「月百姿」シリーズに、「神事残月」と題する一枚(明治19年)があります。
 
   
 
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(2018(平成30)年6月17日)
 
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