歌舞伎の舞台名所を歩く 引窓南邸跡 |
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『双蝶々曲輪日記』 | |
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竹田出雲・三好松洛・並木千柳作『双蝶々曲輪日記』(ふたつちょうちょう くるわにっき)の大詰は「八幡の里の場」、通称「引窓」の幕切れ、お幸は濡髪をからめますが…。 |
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お幸 濡髪長五郎を召し捕ったぞ。十次兵衛は居やらぬか。受け取って、手柄にめされ。 呼ぶ声に、与兵衛は駆け入り、 トこの以前より与兵衛窺い出て、門口に立ち聞く。この時内に入り、 与兵衛 お手柄お手柄。そうのうては叶わぬところ、とてものがれぬ科人、受け取って御前へ引く。女房ども、もう何時。 お早 サア、もう夜半にもなりましょうか 与兵衛 たわけ者めが。七ツ半を最前聞いた。時刻が延びると役目が上がる。縄先知れぬ窓の引き縄、三尺残して切るが古例。 すらりと抜いて縛り縄、ばっさり切れば、ぐゎらぐゎらぐゎらぐゎら、差し込む月に、 ト縛り縄を切ると紐がゆるみ窓の戸が開く。 南無三宝、夜があけた。身共が役目は夜の内ばかり、あくればすなわち放生会、生けるを放す所の法、恩に着ずとも、勝手にお行きゃれ。 トこれより九ツの本釣鐘(ほんつり)。 長五郎 ヤア、アリャもう九ツ、 与兵衛 イヤ、明け六ツ、 長五郎 残る三ツは、 与兵衛 母への進上、 長五郎 重なる御恩は、 与兵衛 アイヤ、それも言わずにさらばさらば。 (『名作歌舞伎全集』第7巻、117-18頁) |
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歌川国芳「国芳もやう 正札附現金男 濡髪蝶五郎」 (『国芳イズム 歌川国芳とその系脈』(青幻舎, 2016)32頁より) |
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「放生会」という題で、演劇評論家だった戸板康二はこう書いています(文中、「南方十次兵衛」は、与兵衛が役人に取り立てられて継いだ亡父の名)。 |
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八月十五日は全国的に八幡祭が行われた。京都に近い男山の石清水八幡宮は、この日、年々放生会の行事があった。「双蝶々曲輪日記」の八冊目、八幡の里南方十次兵衛内、俗称「引窓」は、その行事を背景にした場面である。 義母の実子で、おたずね者になっている相撲とりの濡髪長五郎が、観念して縄にかかったのを、十次兵衛が逃がしてやるという筋に、生き物を放つ放生会の精神がからんでいる。 同時にこの芝居の主役は、十五夜の月光である。幕あきにお早が、お供えを用意しているところから、すでに、澄みわたる名月の感じが濃く舞台をおおっているわけだが、十次兵衛が、二階の障子をあけて見おろしている濡髪の姿を、手水鉢の水面で発見するのは、引窓ごしの月光のためである。それをお早が紛らわすために、引窓をしめる。引窓の綱が、舞台の上で、以後、何回も巧みに活用される。 (『舞台歳時記』(東京美術, 1967年)208頁) |
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京阪電車「八幡(やわた)市」駅で下車、駅前の観光案内所に入ります。 引窓南邸跡について聞きますと、「半年前までこの裏にありましたが、今は駐車場になり、石碑は駅前に移りました」と言われます。 それでもその場所を見たくて、行ってみます。味もそっけもありませんが、 以前はここに引窓が残る旧家と石碑がたっていたのです(この家が舞台だったというわけではありません)。 (『名作散歩 歌舞伎と京都』(京都新聞社, 1975)131頁より) 昔の由緒ある建物が無くなっていく… 一抹の寂しさを感じないではいられません。 この石碑を駅前のタクシー乗り場の近くで見つけます。 向こうには「祝 国宝 石清水八幡本社」の文字が見えます。 説明板です。 1927(昭和2)年に建てられたこの石碑は、2016(平成28)年にここに移されたとのこと。 放生会の石清水八幡はここから数分のところにあります。 鳥居をくぐると右手に池があり、放生会はこの池で行われたのでしょうか…。 ここからの参道は長く、何度も曲がる緩やかな坂です。ゆっくり歩いて門に着くと、向こうに本殿が見えます。 石清水八幡宮については『女暫』で書きますので、ここまでにしておきます。 |
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『双蝶々曲輪日記』、歌舞伎としての初演は寛延3(1750)年京都・嵐三右衛門座(人形浄瑠璃は前年の大阪・竹本座)。 国立劇場では昭和43(1968)年 9月、5幕7場の通し狂言として上演(第17回歌舞伎公演)され、四幕目が「八幡の里引窓の場」でした。 国立劇場公演ポスター (『歌舞伎ポスター集-国立劇場開場25周年記念-』(日本芸術文化振興会, 1991年刊)より) 平成15(2003)年の正月にも再演されました。中村富十郎の十次兵衛、中村吉右衛門が濡髪、口跡がよく芝居巧者の二人は願ってもない組み合わせでした。 国立劇場公演ちらし この時、劇場正面にはこんな看板がありました。 以下は東京・歌舞伎座の舞台です。 ぼくが真っ先に思いだす「引窓」は、昭和55(1980)年9月、初代中村吉右衛門27回忌追善で、市川染五郎(現2代目松本白鸚)と中村吉右衛門の兄弟が演じた舞台です。染五郎が濡髪、吉右衛門が十次兵衛を演じました。 昭和59(1984)年11月の顔見世で、中村吉右衛門(十次兵衛)と中村富十郎(濡髪)の舞台も忘れがたい印象を残しました。 また平成17(2005)年10月、尾上菊五郎(十次兵衛)と市川左團次(濡髪)も好演でした。 |
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(2018(平成30)年6月18日) | |