歌舞伎の舞台名所を歩く

  彦根藩井伊家上屋敷跡
井伊大老



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北条秀司作『井伊大老』序幕第一場は「井伊大老邸の奥書院」(第三場も再びこの場)、時は安政6(1859)年の初冬。この頃日本は大きな変動期を迎えています。

6年前、世間を騒がせたペリーの黒船が来航した時、直弼は開国を唱えた。翌年、勅許を待たずに日米和親条約を締結。大老という地位を盾にしたあまりにも独裁的なやり方であった。外交ばかりではない。将軍家定の後継者選びでも、信任厚い水戸徳川家の一橋慶喜を退け、紀州藩主徳川慶福を十四代将軍に推した。これらのことが、攘夷を主張する水戸の徳川斉昭とはことごとく対立。朝廷でも直弼の独裁を快く思わず、尊王攘夷派や公家たちから攻撃されると、逆らう公家や大名を罰し、尊攘志士を処刑した。特に水戸藩士に対する弾圧は激しかった。世にいう安政の大獄である。
(歌舞伎座 平成6(1994)年4月公演プログラム, 56-57頁より)

井伊直弼はいつ水戸藩士に襲われても不思議ではありません、そこへ…


『井伊大老』の初演は昭和31(1956)年、8代目松本幸四郎の直弼、中村歌右衛門のお静。幸四郎は染五郎(現10代目松本幸四郎)に名跡を譲り、初代松本白鸚を名乗った襲名興行でも演じましたが、公演半ばに倒れ、最後に演じた役でもあります。

その後9代目松本幸四郎(現2代目白鸚)、弟の中村吉右衛門も初代白鸚追善興行で演じています。


(2)

彦根藩井伊家上屋敷跡の場所をマップで見て、行ってみます。



東京メトロ有楽町線「桜田門」で下車、1番出口から地上に出ます。振り返ると桜田門が見えます。



国立劇場の方へ向かってすぐの「国会前」の交差点を渡り、国会前庭(北庭)に入ります。




左の奥に時計塔のようなものが見え、右に井戸が見えます。この辺りが彦根藩井伊屋敷上屋敷跡です。ここに残る井戸は「櫻の井」と称される名水で、井伊直弼はこの井戸の脇から登城の途中に暗殺された、と説明版にあります。





この奥には憲政記念館がありますが、石段のところで日比谷・桜田門の方を見てみます。手前の道路は渋谷に繋がる246号、歩道には散歩をする人やジョギングをする人たちの往来が絶え間ありません。

   


お読みいただきありがとうございました。

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(2020年1月16日撮影)

 
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