歌舞伎の舞台名所を歩く

  石上神宮
『妹背山婦女庭訓』


 (1)

近松半ニほか作『妹背山婦女庭訓』(いもせやま おんなていきん)、通称『妹背山』の「道行恋苧環」(みちゆき こいのおだまき)、竹本連中の出演です。

布留(ふる)の社の傍ら、松林のあいだから御燈の灯がちらちら洩れているような景色。すゝきなどをあしらう。

岩戸がくれし神さんは、誰と寝々して常(とこ)やみの、夜々毎に通いては、俤かくす薄衣に、つゝめど香り橘姫、松の木の間にちらちらちらと、見えつかくれつかえるさの。

  橘姫上手より出、あとを求女追って出る。

あとを求女が慕い来て、互いにはたと行き合いの、星の光に顔と顔。

やあ恋人か何故に、こゝまで跡を追鳥(おしとり)は、もしや塒(ねぐら)の契りをも、叶えてやろとのお心かと、胸にはいえど詞には、おもはゆ振りの袖八つ口。

なるほど切なる志、仇に思わじ、さりながら、さほどこがるゝ恋路にて昼をば何と烏羽玉の、夜許(ばか)りなる通い路は、いと不審なり名どころを、聞いたる上はこなたより、二世の堅めは願う事、あかさせたまえとひたすらに、


            (中略)

  ト、お三輪走り出、二人のなかに割って入る。

立ち退く袂ひきとどめ、えゝきこえませぬ求女さん。

三輪 そりゃ気の多い。

悪性な、そもや二人がなれそめは、はじめて三輪のすぎし夜に、葉越しの月の俤は、お公家さんやら侍さんやら、知れぬなりふりすっきりと、水際の立つよい男、外の女子は禁制としめて堅めし肌と肌、主ある人をば大胆な、断りなしにほれるとは、どんな本にもありゃせまい。女庭訓しつけかた、よう見やしゃんせ、エたしなみなされ女中さん。

イゝヤそもじとてたらちねの、許せし仲でもないからは、恋に仕勝ちよわが殿御、イゝヤ私がイヤ私がと、ともにすがりつ手を取って。

此手柏の二人の女、にらめばにらむ荻と萩、中にもまるゝ男郎花(おとこえし)、放ちはやらじとすがりつき、此方がひけばあなたがとどどめ、恋のしがらみ蔦かつら、つきまとわれて くるくるくる、廻るや三つの小車の、花より白む横雲の、たなびきわたりありありと、三笠の山も程近く、鳴る鐘の音に驚く姫、かえることろはいずくぞと、求女が機転の振袖の、はしに縫うちょう取りかわす、縁の苧環いとしさの、あまりて三輪も悋気の針、男の裾につけるとも、知らず印の糸筋を、慕い慕うて……。

  
ト、橘姫、求女引っ込み、お三輪残り思入れあって引っ込む。         

(『名作歌舞伎全集』第5巻、189-91頁)


そして次の「御殿の場」へ続きます。 

 
オダマキ


(2)

布留(ふる)の社とは石上(いそのかみ)神宮のことで、所在地は、奈良県天理市布留町。



近鉄奈良線「天理」駅で下車、30分程歩いて着きます。



大鳥居を通り、長い参道を歩きます。



手水所には「布留社」とあります。



手を清め、廻廊を左に見て、本殿へ向かいます。



楼門を通ると、



正面が拝殿です。




境内を回ってみます。次はいくつもある境内社の一つ、出雲建雄神社。





ニワトリ小屋があります!



手前は戸が開いていて、何羽かが外に出ています。ニワトリは暁を告げる鳥として神聖視され、神様のお使いとされているとか。




序でに、…
境内は山の辺の道につながっています。天理市から桜井市まで約16キロの古道、



一度桜井から途中まで歩いたことがありますが、今度はこちらから歩きます。




   
(3)

『妹背山婦女庭訓』の初演は、人形浄瑠璃・歌舞伎ともに大阪で明和8(1771)年。

昭和44(1969)年6月、国立劇場で、4幕5場の通し狂言として上演され(第25回歌舞伎公演)、「道行恋のをだまき」は、その二幕目でした。

配役は烏帽子折求女・3代目市川左團次、入鹿妹橘姫・7代目中村芝翫、杉酒屋娘お三輪・6代目中村歌右衛門。


その後、『妹背山』が再演された時(昭和58(1983)年11月・平成8(1996)年12月)は、「願絲縁苧環」(ねがいのいと えにしのおだまき)、「春日神社社頭の場」として上演され、常磐津連中が出演しました。
   


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(2018(平成30)年10月26日)
 
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