歌舞伎の舞台名所を歩く

  寛永寺
『佐倉義民伝』


 (1)

三世瀬川如皐(じょこう)作『東山櫻荘子』(ひがしやま さくらそうし)、通称『佐倉義民伝』は。農民を主人公にした珍しい時代世話物。

不作続きと過酷な年貢に苦しむ下総の農民たちを救おうと、佐倉宗吾が将軍に直訴する寛永寺通天橋の場は、妻子との別れの場、甚兵衛渡しの場と並ぶ見せ場の一つです。

(ちなみにこの場について、戸板康二著『劇場歳時記』(204-207頁)に名エッセイがあります。)

『佐倉義民伝』の初演は嘉永4(1851)年、江戸・中村座。

最近では、平成30(2018)年10月の歌舞伎座、「歌舞伎座130年 18世中村勘三郎7回忌追善」興行の昼の部で上演されました。配役は木内宗吾=松本白鸚、徳川家綱=中村勘九郎、松平伊豆守=市川高麗蔵。4幕目が「東叡山直訴の場」でした。


歌舞伎座絵看板 鳥居清光画


(2)

寛永寺へはJR上野駅で下車、「公園口」から出ます。東京国立博物館入り口を左へ、最初の交差点で右に、国際子ども図書館を過ぎたところで左へ曲がると右手に見えます。



寛永寺は当時は上野の山の広大な地を占めていました。






10時頃、毎日のことなのか、この日特別なことなのか、僧侶の方々が根本中堂の右の入り口から入っていかれます。するとまもなく読経が聞こえてきます。正面には一人の女性が手に「般若心経」を持って、一緒に唱えています。



境内を回ってみます。銅鐘(どうしょう)は江戸時代の前期に活躍した有名は鋳物師の手になる台東区有形文化財、現在は除夜の鐘や重要な法要の時などに使われているとのこと。



琳派の尾形乾山墓碑・乾山深省蹟、茶筅塚、蟲塚といった珍しいと思われる石碑を見ます。




今は通天橋もなく、さほど広くない境内を一通り見て門に向かいます。



お読みいただきありがとうございました。

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(2019年11月12日撮影)
 
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