歌舞伎の舞台名所を歩く

  清水寺
『新薄雪物語』


 (1)

竹田小出雲・文耕堂・三好松洛ほか作『新薄雪物語』の序幕は「清水寺花見の場」、まず薄雪姫が侍女たちと花見にやってきます。

 もうし姫君様、今日は空も長閑(のどか)な春の麗か、お部屋の桜は咲いたれど、庭木はどうやら肩詰まって気がはれぬ。幸いきょうのお花見は、桜の名所は多けれど、とりわけ地主の花盛り、木(こ)の下蔭を宿として、しばし床几に。

薄雪姫 桜は花の王とし言えば、いずれに変わりはなけれども、庭木にまさる御寺の景色、今を盛りの桜花、よい眺めではないかいのう。

 トこのうち皆々毛氈を敷き、薄雪姫、床几にかゝる。

腰元一 イヤもうし姫君様、枯れたる木にも花咲くと清水寺の花盛り、花盛り、咲きも残らず、散りもせず、吉野初瀬も及びなきこの風情、私どももよい春を致しました。(『名作歌舞伎全集』第3巻, 310頁)

薄雪姫は「柳桜をこき交ぜて、都ぞ春の錦なる、大内山も及ばぬ眺め」と、和歌を引き合いに出して花の美しさを表現します。

    見わたせば柳桜をこきまぜて都ぞ春の錦なりける

園部左衛門は名工国行の鍛った刀を奉納しようと登場し、薄雪姫と出会い、艶書を交わします。
 
  園部左衛門 大切なる御剣の手本と定めしこの刀、おろそかになり難ければ、清水の観音に奉納せよとの仰せによって、いよいよ御剣成就の御祈念願い奉る。(312頁)
 
国俊もやって来ます。

   水の流れと人の身の、先非を悔やみて詮方も、千手の誓い影たのむ、国行が一子来太郎国俊は、父の勘気を許されんと、心に願いの滝詣で。

 ト向こうより国俊、白の着附、樒(しきみ)を入れし花手桶を持ち出て来リ、花道にて、

国俊
 祇園清水知恩院、音羽の滝に地主の桜、放下僧の謡にも、世に時めける桜花、春の群集に引きかえて、我が身の上、親の勘気の赦免をば、願いのために日毎の歩み、滝のもとにて心を清め、薩埵(さつた)の功力を。そうじゃそうじゃ。

 念彼(ねんぴ)観音の御名を唱え、手には樒(しきみ)の一枝に、受くるや清き法(のり)の水。(319頁) 

   
(2)

あまりにも有名な清水寺、山号は音羽山、宗派は北法相宗大本山で、ご本尊は千手観音菩薩。西国三十三ヶ所観音霊場の第16番札所です。




京都駅からバスに乗り「五条坂」で下車、ちゃわん坂に入り、陶器などの色々な店を見ながらゆっくり上ります。

鮮やかな朱塗りの門、三重搭も見えて着きました。



仁王門です。一礼をしてくぐって進みます。






◆随求堂(ずいぐどう) 1718年再建と云います。





 
お参りをして右へ行きます。




◆三重塔





境内の他の場所からも寫します。





紅葉の向こうに市内が見渡せます。




◆本堂(1633年再建、国宝)

轟門で拝観券を見せて通ります。


左は前に夏に来た時のもの、右が今回の券(400円)。四季によって図柄を変えているようです。





本堂につながっていて、出世大黒天が迎えてくれます。





靴を脱いで国宝の本堂(1633年再建)で手を合わせます。


◆清水の舞台



あいにく工事j中ですが、舞台へは出られます。



振り返って入口の方を見ます。



市内を見わたし、音羽の滝を見ると、長蛇の列です。












◆阿弥陀堂と奥の院

本堂を出ると、絵馬掛けの向こうに見えます。







15年前に来たときには御開帳でした(覚えていないのですが…)。




奥の院から清水の舞台を見ます。この下に音羽の滝があります。







奥の院を出て進むと、いろいろな角度からも舞台が見えます。







50年に一度の大改修とか、するとこのような写真(2018年11月11日撮影)もある意味貴重と思って載せましたが、完成は2,3年後とのこと、新しくなった本堂と清水の舞台は追加するつもりです。


ちなみに京阪電車の「清水五条」駅の壁に大きな清水寺が描かれています。




◆音羽の滝

ぐるっと回ると、茶店があり、音羽の滝に出ます。

ここで思い出すのは落語の「はてなの茶碗」です。初めて聞いたのは桂米朝さんの歌舞伎座の独演会でしたが、まー何と京都らしい大らかでスケールの大きな噺でしょうか!米朝さんの高座は品があって、艶があって、他の噺家の追随を許しませんでした。



正面に見えるお堂を先に見ます。





扁額には一句、



   松風や音羽の瀧の清水をむすぶ心は涼しかるらん

あとでご詠歌とわかります。

音羽の滝はこのお堂の前にあります。








なお境内には、「仁清記念碑」「乾山記念碑」などの見どころもあり、ゆっくりと見て歩き、楽しい一時を過ごしました。



 
忠僕茶屋の前で


(3)

『新薄雪物語』の初演は寛保1(1741)年5月、大阪・竹本座。歌舞伎としては同年8月の京都・早雲座。


この芝居を初めて観たのは昭和54(1979)年4月の歌舞伎座(昼の部)。

園部兵衛・17代目中村勘三郎、園部奥方梅の方・6代目中村歌右衛門、幸崎伊賀守・8代目松本幸四郎、幸崎息女薄雪姫・4代目中村雀右衛門、秋月大膳と葛城民部・13代目片岡仁左衛門、園部左衛門・2代目中村扇雀(現4代目坂田藤十郎)、奴妻平・3代目實川延若という、涎が出そうな配役でした。

初めて見る舞台は忘れがたいものですが、「園部邸三人笑の場」、「合腹」(蔭腹)を切った」勘三郎・歌右衛門・幸四郎の演技は深く心に刻まれました。役者が揃っていなければできないこの芝居、この三人で観ることができたのは幸せなことと今でも思っています。 



 『新薄雪物話』 「清水寺の場」
 (田中良 『歌舞伎定式舞台集』(大日本雄弁会講談社, 1958)より)


   
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(2018(平成30)年11月23日)
 
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