歌舞伎の舞台名所を歩く 三条小鍛冶宗近之古跡・合槌稲荷 |
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『小鍛冶』 | |
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歌舞伎舞踊『小鍛冶』、登場人物は、勅使・橘道成、三条小鍛冶宗近、弟子の晴彦・秋彦、巫女・小枝、童子後に、稲荷明神。 その一節です。 |
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宗近 これは三条の小鍛冶宗近にて候。 さてもこのたび、大君より、御剣を打ちて奉つれと、かしこき宣旨を蒙りつゝ、かゝる大事をつかまつらんには、我に劣らぬ相槌(金編)の者ありてこそ、御剣も成就なすべけれ。 口惜しくもそれほどの者、無しと答えまつらんには、勅諚をそむくのおそれ、いかにせむ、この上はただ神仏のおん功力、頼む心に相槌(金編)を、求めんより ほかになし。 (『名作歌舞伎全集』第24巻、288頁) |
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そして見事に仕上げます。 |
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宗近 勅命の御剣、ただいま出来仕る。 と恭しく捧ぐれば、道成欣然と領承あり。 道成 ほゝう、いしくも打ったるよ。天下第一、二つの銘。 明神 あら心地よやこの御剣、氏神明神になぞらえて、小狐丸と名づくべし。 かゝるめでたき業物を、我が敷島(ほのもと)の精神(こころ)となし、四海を治めたまわんには、高麗(こま)もろこしの民草も、御陵(のぎ編)威(みいず)のもとにうち靡き、五穀成就や君万歳(ばんせい)と、伝うる鍛冶の道ひろく。 |
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「三条小鍛冶宗近之古跡」の碑が仏光寺本廟の境内にあります。ここは「粟田口鍛冶町」、町名からも縁の場所であることが伺えます。 市営地下鉄「四条」駅で下車、5番出口から出るとすぐ着きます。真宗佛光寺派の本山で、山号は渋谷山。 山門の階段には車椅子用のレールが取り付けられています。このようなところは初めてで、行き届いた配慮に感心します。 碑は真っすぐ行った一番奥にあります。 近づくと表と裏の文字がはっきり読めます。建立は大正6年とありますので、西暦で1917年、約100年前のことなのがわかります。 ゆっくり見て、門を出ます。 ◆合槌(あいづち)稲荷 三条通りを下っていくと、小さな鳥居が目に入ります。さきほど仏光寺の説明板で読んだ「相槌稲荷社」は、こんな近くでした。 ここには謡曲史跡がたっています。 鳥居の文字を見て、 通ると、奥は長屋風の建物が見えます。何か私的な空間に入るような気がして、先へ行くのはやめました。 「小鍛冶」を描いた絵画が、美術書にあります。偶然見つけて嬉しくなります。 池田孤邨「小鍛冶図屏風」 二曲一隻 細見美術館蔵 能の「小鍛冶」を主題とする堂々たる孤邨の大作。 屏風は稲荷明神出現の場面を描く。神妙な面持ちの中にも強い決意を秘めた宗近、今にも段上に上がり相槌を打とうとする明神と、演じ手の気迫も伝わってくる。 能は江戸時代、大名家の教養として広く演じられ、宗雅や抱一も度々上演に関わっている。この宗近の顔も気品に満ち、大名かその子弟と思われる。 (『坂井抱一と江戸琳派の全貌』(求龍堂, 2011)331頁) |
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『小鍛冶』の初演は昭和14(1939)年、明治座。作詞は『黒塚』の木村富子、演者は2代目市川猿之助。 「猿翁十種」の一つで、3代目が継承しました。 昭和60(1985)年7月の歌舞伎座、「初代市川猿翁・三代目市川段四郎二十三回忌追善七月大歌舞伎」と銘打った公演では、文楽座大夫三味線が出演し、童子実は稲荷明神・3代目市川猿之助、三条小鍛冶宗近・市川段四郎、勅使橘道成・中村東蔵、弟子春彦・中村歌六という配役でした。 猿之助は平成9(1997)年12月にも歌舞伎座で演じました。この時は、三条小鍛冶宗近が5代目中村勘九郎(後の18代目中村勘三郎)、勅使橘道成は17代目市村羽左衛門、二人の名優が共演しました。 |
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(2018(平成30)年10月26日) | |