歌舞伎の舞台名所を歩く

 妙行寺 お岩様の寺

 
 (1)

妙行寺の場所です。



都電荒川線「早稲田」行きに、始発の「三ノ輪橋」で乗ります。一度乗ると170円、400円の一日乗車券を求めます。

一番前に座り、車窓からの景色を楽しみながら約50分、「新庚申塚」で下車します。
白山通りをすぐ左に折れ、少し行くと「巣鴨五丁目」の標識があります。ここを左に曲がると都電の踏切です。
向こうにお寺が見えますが、電車が通り過ぎるのを待って、踏切を渡ります。
ここが長徳山妙行寺で、
門の右に「四谷怪談 お岩様の寺」と刻まれた石碑があり、目指すお寺と分かります。
門を通ると、すぐ右にも大きな石標があります。
 
先ず本堂で手を合わせます。
扁額の行書体の流れるような文字が目を引きます。
本堂の手前には「立正大師 高祖日蓮大聖人」の像があります。説明板にはお寺について、ごく簡潔に記されていて、他のお寺では見たことのないような供養塔もあります。
下には境内の案内図、これもとても分かりよいです。
本堂左の渡り廊下のような建物をくぐると、
 
そこは墓地で、
 
矢印の方へ足を向けると、左右に無数のお墓が見え、かなり奥行きがあります。
 
まっすぐに進むと鳥居があります。
 
くぐって「由緒板」を読みます。
なるほど、そういうことですか。

左に進み、ぐるっと回ります。左のいくつかのお墓に「田宮」の文字が見えます。
 
突き当りがお岩様のお墓です。
 
「得証院妙念日正大姉」の法名が刻まれて、卒塔婆もたくさん立っています。
 
『四谷怪談』を上演するときは、舞台関係者は揃ってお参りにくるそうです。そうしないと怪異があるとのことで、怪談に相応しい話であります。

(2)
 
これはお岩様に関係のないことですが、歌舞伎に関係がありますので書きます。先ほど鳥居をくぐって左に曲がろうとして驚きました。林中の墓所がそこにはあったからです。



かなり以前にラジオでこの名前を聞いて、名前だけは知っていたのですが、ここでお墓を見るとは!

林中については、岡本綺堂が、明治30年2月興業の「関の扉」について書いた一文に、一行だけ記されています。 
 
…、団十郎の黒主、菊五郎の墨染 - それらを単に巧かったとか面白かったとか言っても、それを実見しない人たちにはおそらく想像が付くまい。わたしもそれを説明するに適当の〔注:「の」は原文のママ)言葉を知らないのを甚だ残念に思う。ここらが明治以後における歌舞伎劇の最高潮に達した時代で、その後は強弩(きょうど)のすえである。このときには常磐津の林中もまたその名音で満場の観客を陶酔させた。
(岡本綺堂『明治劇団 ランプの下にて』(岩波文庫)243頁)
 
「名音」という言葉は初めてですが、喉はストラディバリウスのようだったということでしょう。 
 
 
案内図にあるように、この墓地には、浅野家の墓所もあり、内匠頭の夫人・瑶泉院の供養塔もありますが、これについては忠臣蔵のところで書きたいと思います。
 
 
 
お読みいただきありがとうございました。 

歌舞伎の舞台名所を歩く」 HOMEはこちらをどうぞ。
 
(2018(平成30)年5月7日)
 
 
inserted by FC2 system