歌舞伎の舞台名所を歩く

  妙心寺
『絵本太功記』
京都市右京区


 (1)

『絵本太功記』(えほん たいこうき)は、光秀の反逆を中心に、6月1日から13日の物語を一日一段に構成した珍しい趣向の芝居で、妙心寺の一幕があります。演劇評論家の戸板康二を引用します。

「六日の段は今日の妙心寺のとりでで、十次郎初菊の色模様、そこへ光秀が帰り、母皐月はわが子の暴逆を悲しみ、粗服を着て立ち去る。光秀は人を遠ざけ、襖に辞世を書いて切腹しようとするが、四王天田島頭に制止され、綸旨(りんし)を拝すべく、御所へ向う」
 (『名作歌舞伎全集』第5巻、353頁)

その皐月の台詞です。

皐月 オゝ忝けなくも清和源氏の嫡流たる、武智の系図、おとより武勇の家柄なれば、誰に恥ずべき謂れなし。年は寄れども心は鉄石。

  #渇しても盗泉の水を飲まずとは、予(かね)て教えし聖が言の葉。

主を殺せし天の罰、こころ穢れし我が子の傍、片時も同席なり難し、わが日の本の神明へ恐れあり(く)。これを此世の別れぞや。(同上、357頁)

平成17(2005)年11月、国立劇場で4幕5場の通し狂言として上演(第246回歌舞伎公演)されたときに「妙心寺の場」が出ましたが、この場が出たのはこの舞台くらいで、国立劇場ならではと云えます。

今でもたびたび舞台にかかるのは、十段目の「尼ヶ崎閑居の場」(通称「太十)でしょう。 

『絵本太功記』の歌舞伎としての初演は寛政12(1800)年、大阪角の芝居。人形浄瑠璃として初演された翌年に歌舞伎化されました。


(2)

妙心寺は、臨済宗妙心寺派の大本山で、山号は正法山、京都は花園にあります。



JR嵯峨野線「花園」駅下車、歩いて5分ほどで南総門に着きます。









この時(2016年2月)は特別公開のお寺を巡る旅で妙心寺を訪れたので、特別拝観の塔頭に絞って見学します。



◆玉鳳院







玉鳳院を出て参道を進むと、途中にあるのは、


写経道場





◆霊雲院



◆天球院










  


北総門

この門からは嵐電「妙心寺」駅が近いので、そちらに向かうことにして妙心寺を後にします。退蔵院の庭園も見たかったのですが、また別の機会にして…。

   
お読みいただきありがとうございました。

歌舞伎の舞台名所を歩くHOME 
平家物語の舞台を歩く 一覧
(2016年2月22日撮影)
 
inserted by FC2 system