歌舞伎の舞台名所を歩く

  御行の松跡
『伊達競阿国劇場』


 (1)

初代桜田治助ほか作『伊達競阿国劇場』(だてくらべ おくにかぶき)、通称『先代萩』(せんだいはぎ)の「花水橋土手の場」、廓からの帰り道、頼兼は刺客の襲われますが、お伴の絹川谷蔵が追い払います。

谷蔵 わが君様。若しもや今の狼藉者、伺い居らんも計られず、私めは、お後に引き下がり見え隠れにお供りいたしますれば、御前様には、これより直ちにこの道筋をまっすぐに御行の松を左へと、根岸の里までおひろいなされて下さりませ。私めは、すぐさま後より参りまする。

頼兼 そんなら、これより根岸の里へ参るのじゃな……オオ承知致した。
(「伊達競阿国劇場」『名作歌舞伎全集』第13巻所収、82頁)

吉原は根岸の東に位置しますので、そちらから来たことが分かります。 

(2)



御行の松のある不動尊へは、JR山手線「鶯谷」駅北口で下車します。すぐ左に見える凌雲橋を渡って下ると言問通りに行きあたります。右に少し行き、最初の交差点を渡って右へ進みます。すると左に「ようこそ根岸の里へ」と標識のあるうぐいす通りがあります。



そこから10分ほど歩くと、右手に和菓子屋さんがあり、ここのすぐ先です。




◆御行の松不動尊





門を通ると左手に一本の松が見えますが、まず正面の不動尊に手を合わせます。初代の御行の松の根で彫った不動明王がご本尊です。



右の石碑に漢文で由来が刻まれています。勿論読めません。



◆お行の松





松の横には三代目と書かれ、子規の句が添えられています。



句碑もたっています。本人の字を刻んだのでしょうか、良い文字です。



「根岸の里 大松 御行の松 御行の松不動講編」と表紙にある、18頁の小冊子が置いてあるので、一冊いただきます。

以下その小冊子から引用します。

  この松については種々の伝説があり、弘法大師、又は文覚上人が此処にて修法せし事あり、因って「お行」というなどの伝えもありますが、この松、文覚上人が活躍した七百年以上のものでもなう、まして弘法大師の千年以上前の物ではなく、伐採した年輪から推定して五百年以上は経ていないと思われます。

「お行の松」と、唱えたのは宝暦(約二百五十年前)以後の事らしい、それは御歴代の輪王寺の宮が、御一代に一度「御加行(けぎょう)」「御□堂」と、言って百日間、毎朝、種々の御修法があって、山内にある仏宇、神祠を巡拝あらせられる例であったが、宝暦以後、何時の宮であったま御加行□の時に根岸の御隠殿を通って、この松の木に来り息わせられた事があったのを、宮様の御行のお休みの松といいう意味で「お行の松」と称したことに由来してかく呼ばれたと言う。
 
掲示板のようなところにも、写真と説明が貼られています。




境内にある「狸塚」などの石碑と、もう一度松を見て引き返します。



松は「あまり大きくならないので、植えかえる予定」という話を聞きましたが、どうなったでしょうか。また行って来ようと思っています。

   
(3)

『伊達競阿国劇場』の初演は安永7(1778)年、江戸・中村座。

国立劇場でも本公演では上演されてなく、伊達騒動の筋を吸収した『伽羅先代萩』(めいぼくせんだい)が時々舞台にかかっています。ただ例によって舞台を鎌倉として「鎌倉花水橋」の場となっています。
 

 
お読みいただきありがとうございました。

 「歌舞伎の舞台名所を歩くHOME
(2017年10月18日撮影)
 
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