歌舞伎の舞台名所を歩く

  お初稲荷
『鏡山旧錦絵』


 (1)

お初と云えば、「お初徳兵衛」のお初を連想される方もおられると思いますが、『鏡山旧錦絵』(かがみやま こきょうのにしきえ))、通称「鏡山」にもお初が登場します。

大詰「奥庭仕返しの場」、中老尾上の召使いお初が岩藤に会いに参上、主人の仇を討ちます。

 今こそ晴らす尾上が恨み、覚悟じゃ。

岩藤 そうぬかせば、其方(そち)から先へ。

 何を。

   (トこれより八千代獅子の早めの琴入り。両人立廻りよろしくあって、
    トド岩藤を切り倒し)

 主人尾上が恨みの草履、思い知ったか。コウコウコウ。旦那様、これにて御無念お晴らしなされて下さりませ。この上は旦那様、冥途のお供、そうじゃそうじゃ。

   (ト自害しようとする。この時、上手門の内にて)

求女 コリャ待て、初、早まるまいぞ。

   (ト求女と、腰元大勢出て、合方になり)

岩藤ことはお家に仇なす大悪人、ことに尾上が敵を討ちし初が忠節、あっぱれなるぞ。まった蘭奢待の名木も、伊達平の働きにより、無事にお家に納まりしぞ。

 主人尾上が認(したた)めおいたる御前御披露の書置、まった旭の弥陀の尊像、イザお受け取り下さりませ。

   (ト渡す)

求女 二品揃う上からは、これにてお家は万代不易(ばんだいふえき)。なお其方が忠義にめで、二代尾上を相続させよとお墨付。

 そりゃ私に二代の尾上を。ハイハイハイ。身にあまる主人の名跡、忝う存じまする。
 (『歌舞伎オン・ステージ』(白水社, 1996)第6巻、87-88頁)
 
(2)

新橋演舞場に、このお初を祀る「お初稲荷」があります。



東京メトロ日比谷線「東銀座」駅で下車、築地の方へ行く橋の手前で右に曲がります。采女公園のすぐ向こうの高層ビルの壁に「新橋演舞場」の文字が見えます。



角を曲がると、劇場正面の右に切符売り場がありますが、その奥へ行きます。





右に石碑が二基見えます。新橋演舞場に所縁の深い二人を記念して建てられた句碑です。



 
左は曾我廼家五郎が東京進出30年を記念しての「むさし野や三十年の泣き笑」
右は新国劇の澤田正二郎の辞世「何處(いづく)かで囃子の聲す耳の患」

この左奥にひっそりと建っているのが見えます。



◆お初稲荷





以前は「お初稲荷」は劇場の外にありましたが、新橋演舞場が 1982(昭和57)年に複合ビルの中に新装開場する時に、現在の場所に移されました。ちなみに演舞場の開場は1925(大正14)年4月でした。


(3)

『鏡山』の初演は天明3(1783)年、江戸・森田座。原作の人形浄瑠璃は前年の江戸・薩摩外記座。

国立劇場では昭和54(1979)年3月に、5幕7場の通し狂言として初演(第97回歌舞伎公演)され、その後何度か再演されています。

初演時の配役は召使いお初=7代目中村芝翫、岩藤=3代目實川延若、求女=8代目中村福助(現4代目中村梅玉)。延若は最高の岩藤役者でした。


なお二世河竹新七((後の黙阿弥)作『加賀見山再岩藤』(かかみやま ごにちのいわふじ)、通称「骨寄せの岩藤」は、『鏡山』の後日譚という意味ですが、加賀騒動の実録です。

   
お読みいただきありがとうございました。

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(2019年5月)
 
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