歌舞伎の舞台名所を歩く |
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『沓手鳥孤城落月』 | |
(大阪市浪速区) (1) |
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坪内逍遙作『沓手鳥孤城落月』(ほととぎす こじょうのらくげつ)、「大阪城内の御殿」の場です。 大坂夏の陣、落城の迫る大坂城。 亡き秀吉の側室で気位の高い淀君は、息子秀頼の妻で、敵の家康の孫娘にあたる千姫を手放そうとしません。ところが千姫が徳川軍の内通者の助けによって、戦乱に紛れて豊臣方を脱出した事を知った淀君は乱心してしまいます。 第3場「場内山里糒庫階上」、秀頼は淀君に言います。 |
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秀頼 豊臣の血統を繋ぐ為に、せめて秀頼だけは出城させよとの御慈愛のお言葉は、忝けなうはござりますれど、たとへ大御所の慈悲に縋って、一旦は親子命助かるとも、つくづく関東の下心を察しますれば、豊臣の血統は、所詮永うは繋がれませぬぞ。慈悲を施すは大御所が一時の権略にすぎませぬぞ。生中(なまなか)に生き存へて、他日の恥辱を被るよりは、潔く生害いたし、あの世の父上に不肖の御ン詫び…(ト言いかけて涙をぬぐい)〈以下略〉 (『名作歌舞伎全集』(創元社, 1971)第25巻、41頁) |
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(2) |
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豊臣家の没落を描いたこの芝居に秀頼らが切腹する場面はありませんが、大阪城内に「豊臣秀頼 淀君ら自刃の地」の石碑が建っています。 JR東西線「大阪城北詰」で下車して、青屋門から入ります。 極楽橋を渡ると 石碑が見え、矢印の方へ進みます。 するとすぐ近く、石垣の前にあります。説明板を読み、前からと後ろからも見てみます。 戦国のならいとはいえ、敗れた人たちの胸中はいかばかりであったでしょうか…。 豊臣家の悲劇の舞台となった大阪城ですが、そのことを忘れさせるほど美しい姿をみせています。 |
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『沓手鳥孤城落月』の初演は明治38(1905)年、大阪・角坐。 淀の方について、こんな一文があります。 |
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シェイクスピアから劇作法を学んだ逍遙は、史劇として、豊臣家没落の歴史から取材して『桐一葉』『沓手鳥孤城落月』を書いたが、秀頼の母の淀君というこの役は、その美しさよりも、病的なヒステリーや猜疑心という女の欠点が強調されている。 そして五代目中村歌右衛門という女形の名優がこの淀君を見事に演じ、歌舞伎にそれまでなかった新しい役柄を創造したのであった。 (戸板康二「日本の『マクベス』」、大山俊一訳『マクベス』(旺文社文庫, 1974)所収) |
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名取春仙「五世中村歌右衛門の淀君」 大正14~昭和4(1925-29)年 櫛形町立春仙美術館蔵 (山口桂三郎監修『日本の近代絵画』(プレーン出版, 1996)111頁より) |
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国立劇場では今までに2度上演されています。淀の方を演じたのは、 昭和51(1976)年12月(第82回歌舞伎公演) 6代目中村歌右衛門 平成10(1998)年12月(第211回歌舞伎公演) 7代目中村芝翫 この二人の名優は歌舞伎座ほかでも演じていますが、坂東玉三郎も平成29(2017)年10月に歌舞伎座で初役で演じ、この舞台はシネマ歌舞伎として映画化されました。 シネマ歌舞伎<第32弾>チラシ 料金は一般 2,100円、学生・小人 1,500円(税込) |
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関連で「大阪城 豊国神社」もご覧ください。 |
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(2019年5月17日撮影) |
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