歌舞伎の舞台名所を歩く

  信太森葛葉神社
『芦屋道満大内鑑』


 (1)

『芦屋道満大内鑑』(あしやどうまん おおうちかがみ)、通称「葛の葉」の「安倍野機屋の場」。

安部保名は妻子と平和に暮らしていますが、ある日葛の葉姫が訪ねてきます。妻と思っていた葛の葉姫は、実は保名が助けた白狐だったのです。本人が現れては、白狐は姿を消すしかありません。


保名 コレ女房、聞こえぬぞや。たとえ野千(やかん)の身なりとも、物の哀れを知ればこそ、五年六年つき添うて、命の恩を報わずや。いわんや子までもうけし仲、狐を妻に持ったりと、笑うものは笑いもせよ、我は少しも恥ずかしからず。たとえこのまゝ別るゝとも、相対にて互いに合点のその上は、失せもせよ消えもせよ。このまゝでは何時までも放ちはやらじ、コレ葛の葉、童子が母ヤイ。

 泪ながらに呼びたつれば、片方(かたえ)の障子に一首の歌。
 
 ト皆々件(くだん)の障子を見て、


    恋しくば尋ね来てみよ、和泉なる、

庄司 信太の森のうらみ葛の葉。

保名
 さては一首のかたみを残し、つれなくも帰りしか。我に心は残さずとも、童子は不便にないかいヤイ。

 (『名作歌舞伎全集』第3巻, 127-28頁)

そして「信田の森の場」、
 
舞台所々に薄叢(すゝきむら)、紅葉の立木などよろしく、そべて信田の森の体。幕あくと床の浄瑠璃になる。

 こゝに哀れをとどめしは、安倍の童子が母上なり。元よりその身は畜生の、苦しみ深き身の上を、語り明かして夫(つま)にさえ、添うに添われず住み馴れし、我が故郷(ふるさと)へ帰ろやれ。

保名・童子・葛の葉姫は葛の葉狐を追ってきます。
 
  童子 母様ィのう母様ィのう。

 母を慕いておろおろと、歎き叫べは父親も、童子も抱き可愛やと、共に涙をしぼりける。葛の葉姫も走り出(い)で、

 ト葛の葉姫出て、

葛葉姫 心強き母御の別れ、その形(なり)をも厭いはせじ。幼子のため、今しばし。

 しばししばしという声も、嵐につるゝ谺(こだま)のひびき、草茫々たる信太の原の、たちまち変わる稲荷の神前、不思議というも愚かなり。

 ト大ドロドロにて、舞台は居所変わり、信太神社の鳥居前になる。


保名
 ヤ、、今まで草の茂みたる、信田の森と思いしに、

葛葉姫 こゝは稲荷の御社の前。

保名 さては野千(やかん)が名残りを惜しむに、

葛葉姫 姿あらわす便なりしか。(同上、131頁)


 
(2)


この芝居の舞台となったのは信太森葛葉稲荷神社。



JR「大阪」駅から「天王寺」で乗り換え、「北信太」駅で降ります。



北信太駅から300メートルくらいとのこと。踏切を渡って左に曲がると、



鳥居が建っています。今は車も通る通りですが、以前は参道だったのでしょうか。



少し行くと鳥居の手前、「葛の葉町地車庫」のシャッターに、「恋しくば…」の句が書かれています。





石碑には「信太森神社」とあります。



ご由緒です。



狐の伝説についての説明板もあります。



境内案内図を見ると、見どころがたくさんあります。



門の向こうには連続する鳥居が見えます。





最初の朱の鳥居の右には手水舎、



となりに和泉式部の歌碑、





鉢に入った葛の葉、

(説明板には、

「こちらの神社には、当時、三出葉のうち、表が一枚、裏がえしが二枚の異形の葛が生えていました。

「信太の森の うらみ葛の葉」の「うらみ」とは「裏見」のいみで、こちらに生えている葛の葉を表しており、神社の社紋にもなっています。」

とあります。)



そして芭蕉の句碑などがあります。



参道に戻って、「葛葉稲荷大神」とある二つの鳥居をくぐると、







そして本殿。





両脇には、神社のお使いの狐。口に、玉と巻物のようなものをくわえていますが、何でしょうか。





本殿の左へ行ってみます。



ここにも歌碑があります。



少し小さな朱の鳥居が等間隔で続き、



奥には百度石と、「クス」の大木がたっています。





ただの古木ではなく、ご神木として祀られているのがわかります。





後ろに回って見てみます。




境内には他にも見るべきものがいくつもあります。

◆姿見の井戸







中には鏡が。




◆子安石






◆利休作 ふくろうの灯籠




境内の空間から、左の本殿の方と、



右の方を見ますと、目にも鮮やかな緑の大木と、朱と石の鳥居と、そして石灯籠がきれいに並んでいます。このような配列の神社を見るは初めてです。



木を見るのも大好きですが、一本一本の異なる姿を目に焼き付けます。




江戸時代の境内の風景が描かれています。周辺はここも必然的に一変してしまいました。




   
(3)

『芦屋道満大内鑑』の歌舞伎としての初演は享保20(1735)年、京都・中村富十郎座。

あまり舞台にかからないようですが、国立劇場の歌舞伎鑑賞教室では何度も取り上げられています。最近では、平成25(2013)年 7月に「社会人のための歌舞伎鑑賞教室」で上演されました。

一幕三場で、場割りは、

  第一場「安倍野機屋の場」
  第二場「安倍野奥座敷の場」
  第三場「信田の森道行の場」

安部保名を坂東秀調、女房葛の葉を中村時蔵が好演しました。

最後の見せ場は、この芝居だけに見られる筆を口にくわえて書く「曲書き」です。


 北信太駅壁の絵画


   
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(2018(平成30)年9月12日)
 
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