歌舞伎の舞台名所を歩く

  白鬚神社
 
『隅田川続俤』  


 
 (1)

 
奈河七五三助作『隅田川続俤』(みだがわごにちのおもかげ)、通称「法界坊」の序幕の返し「白髭鳥居前の場」です。

破戒坊主の法界坊は、永楽屋の娘お組に首ったけでつけ回しますが、お組は手代の要助の相愛の仲で相手にされません。要助を陥れようとしますが、道具屋甚三にやり込められてしまいます。

 
本舞台一面の平舞台、上手寄りに石の鳥居、続いて石垣、すべて向島白鬚鳥居前の体。禅の勤めにて幕あく。

 ト向こうより法界坊、駆けて来る。


法界 エゝいまいましい、折角うまくいきかけたところへ、あの甚三めが出やがって、すっかり目算が違ったが、しかたがない。まだまだこれから手短かに、お組が帰りはたしかにこの道と、丁稚をだまして聞いておいたが。

 (『名作歌舞伎全集』第15巻、32頁)

 
番頭長九郎は、お組を誘拐しようとして、駕籠屋を待たせておきます。お組は逢瀬を約束した要助を探しているところを長九郎に捕まってしまいます。

長九郎はお組を縛って猿轡をかけ駕籠に押し込め、鯉魚の一軸も入れて、駕籠屋を呼びに行きます。そこへ出て来たのが法界坊。道具屋市兵衛も出てきて、ドタバタ喜劇の様相を呈します。 同じセリフの繰り返し、代表的な「おうむ」も楽しめます。
 
 
法界 うまいわうまいわ。思うお娘に先刻(さっき)の一軸、濡れ手で粟とはありがたい。これはおれの弘福寺、結ぶの神は牛の御前。もうほかへはやらぬ。かわいそうに手が痛むであろう。まず縄もこう解いて、

 トお組の縄を解くと、お組逃げかかる。

ドッコイドッコイ、なんぼおぬしが嫌がっても、悪縁契り深しとやら、もうこうなったら逃がさぬ逃がさぬ。

お組 アレエ。

法界 エゝ、やかましいわえ。

 トお組を追い廻す。以前の市兵衛、桜餅の籠を持ち、葛籠(つづら)を背負い、酔いたるこなしにて、

市兵 あの甚三さんは、もう帰ったかしらん。

 ト言いながらこの中へ入って、突き廻され、はずみに脾腹(ひばら)を打って気絶する。法界坊うなずき、お組を葛籠の中に入れ、市兵衛を駕籠の中に入れ、

法界 こうして終(しま)えば〆子の兎さ兎さ、しめたぞしめたぞ。

 ト踊地に乗って、駕籠に荒縄をかける。法界坊葛籠を背負おうとして、人音がするので小隠れする。長九郎「太郎兵(たろひょ)に次郎兵」と呼びながら出て、

長九 アゝ駕籠屋め、どこへ行きおったか。しょう事がない。エゝワ、おれが一人でかついで行こう。

 ト駕籠を花道までひきずり、力を入れて担ぐ拍子に、中から市兵衛転げ出る。長九郎重そうにかついで向うへ入る。市兵衛気がつき、

市兵 ヤレヤレ、いゝ気持に一寝入りやらかしたが、土産に貰った桜餅はどうしたろう。

 ト桜餅の籠をみつけ、

アゝ、あったあった。これさえあれば、〆子の兎さ兎さ。(同上、33-34頁)

 
そして、大切「隅田川渡しの場」は、「双面水照月」(ふたおもて みずにてるつき)の所作事(常磐津連中・竹本連中が出演)、名場面です。

 
 
(2)

 
白髭神社のマップです。



東武スカイツリー線「東向島」駅で降りて、東武博物館の前を通り過ぎて右に曲がります。明治通りを横切って進むと右手に向島百花園があります。入口の前を通って200メートルくらい歩くと白鬚神社に着きます。





鳥居をくぐると左にはいろいろな石碑がたっています。



力石も三つほどあります。



本殿前の鳥居の右の石碑には「白鬚大神」と刻まれています。



その右を見ると、ここに富士講があったことがわかります。





本殿の正面、鳥居の前で一礼します。





鳥居をくぐると、右手に由緒があります。



次は御朱印を書いてもらった時に、いただいたご由緒です。



隅田川七福神は、前に二三度正月にお参りした記憶が蘇ります。



本殿で手を合わせます。





絵馬は可愛い図柄で、犬の親子も微笑ましいです。



本殿の左には、大きな絵馬が奉納されています。



なぜここにアガサ・クリスティの映画のが、と思って社務所で聞いてみます。昨年この映画の吹き替えした俳優や映画関係者が、この映画のヒットを祈願して奉納したもので、主人公のポアロは鬚をはやしているので、「鬚」つながりで、ここにいらしたとのこと。なるほどそういうことですか、面白いですね。


この絵馬の手前にはナスの鉢が置いてあります。





これも説明板を読んで納得します。




木の下に白い石が竹で囲まれている、こんなところがあります。パワースポット? これもどういう意味なのか、聞いてみるのでした。



境内をぐるっと回って、そろそろ戻ることにします。





門のところにある隅田川七福神の案内図を見て、またここの七福神巡りをしてみたくなります。




   
 
 
 
 
(3)

 
『隅田川続俤』の初演は天明4(1784)年5月、大坂・角の芝居。

昭和46(1971)年4月、国立劇場では5幕8場の通し狂言として、17代目中村勘三郎の主演で初演されました(第40回歌舞伎公演)。この後で他の役者でも見ましたが、何と云ってもこの舞台が最高でした。


 勘三郎の法界坊(英文パンフレット)


 国立劇場公演ポスター
 (『歌舞伎ポスター集-国立劇場開場25周年記念-』(日本芸術文化振興会, 1991年刊)より)

 
 
 歌舞伎座 絵看板 鳥居清光画

 


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(2018(平成30)年10月4日)
 
   
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