歌舞伎の舞台名所を歩く 『一谷嫩軍記』 |
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並木宗輔作『一谷嫩軍記』(いちのたに ふたばぐんき)、「須磨浦陣門の場」に続くのは「須磨浦組討の場」です。 |
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熊谷 オゝイオゝイ。 (ト向うより、熊谷馬に乗り、日の丸の陣扇を持ち出て来たリ) それへ渡らせ給うは、平家の大将軍と見奉る。正(まさ)のうも敵にうしろを見せ給うか。引き返して勝負あれ。かく申す某は、武蔵の国の住人、熊谷の次郎丹次直実、見参せん。返させ給え、オゝイオゝイ。 扇を上げて差し招き、しばししばしと呼はわったり。 (トこれにて熊谷、舞台へ来たり、上手へ入る。すぐに手摺へ子役の遠見出る) 敵に声を掛けられて、何か猶予のあるべきぞ。敦盛駒を引き返せば、熊谷も進み寄り、たがいに打ち物ぬきかざし、朝日に輝く劔の稲妻、駆け寄り駆け寄せちょうちょうちょう、蝶の羽返し諸鐙(もろあぶみ)、駒のあし並みかっしかっし、かしこは須磨の浦風に、鐙の袖はひらひらひら、群れいる千鳥村千鳥、むらむらばっと引汐に。寄せては返り、返りては又打ち掛くる虚々実々、勝負も果てしあらざれば、 (『歌舞伎オン・ステージ』(白水社, 1996)第4巻、29-32頁) |
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『平家物語』の中でも最もよく知られた一つ「敦盛最期」(第89句)から取られたのは明らかですが、須磨寺にこの場面を再現した「源氏の庭」があります。 山陽電車の「須磨寺」駅で下車して、真っすぐの通りを進むと須磨寺です。 須磨寺本堂 本堂の近くに「源平の庭」があります。 芝居の一場面を見るようで感激します! 「オゝイオゝイ」「それへ渡らせ給うは、平家の大将軍と見奉る。正(まさ)のうも敵にうしろを見せ給うか。引き返して勝負あれ」 反対側からも見てみます。どこから見ても素晴らしい!の一言に尽きます! 手前には蕪村の句碑が建っています。 笛の音に波もよりくる須磨の秋 須磨寺に再現されている「源平の庭」の場面は須磨海岸。須磨海浜公園駅で下車、歩いて少しで海岸に出ます。風光明媚!で右の方向に明石大橋が見えます。 |
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『一谷嫩軍記』は、人形浄瑠璃として宝暦元(1751年)年に大坂・豊竹座で初演され、翌年に歌舞伎化され江戸・森田座で上演されました。 国立劇場での初演は昭和47(1972)年4月(第49回歌舞伎公演)、3幕4場の一幕目第二場が「須磨浦浜辺組討の場」でした。 昭和60(1985)年12月(第134回歌舞伎公演)、平成25(2013)年10月(第285回歌舞伎公演)にもこの場が舞台にかかりました。 最近の歌舞伎座では、2015年2月、熊谷次郎直実=中村吉右衛門、熊谷小次郎直家・無官太夫敦盛=尾上菊之助の配役で上演されました。当代で望みうる最高の配役と云えるでしょう。 最後にこの場に登場する馬についてのエッセイです。 (『朝日新聞』2003年6月4日) 「平家物語の舞台を歩く 敦盛ゆかりの須磨寺」もご覧ください。 |
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(2018年3月30日撮影) |
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