歌舞伎の周辺

  素盞雄神社
『日本振袖始』


 (1)

近松門左衛門作『日本振袖始』に素戔鳴尊(すさのおのみこと)が登場します。

素戔鳴尊の父は伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、姉は天照大神。父から海の統治を命じられますが、母をなくして泣いてばかりいたために、父の怒りをかって追放されてしまいます。

この話の続きは事典の一部を写します。

追放されたスナノオが下っていったのは出雲国、肥河(ひのかわ)の上流だが、そこで彼は八岐大蛇を退治する。大蛇は八頭八尾をもちその身は八つの峰や谷にわたる巨大な怪物で、年ごとにあらわれて人間の娘を餌食にしてきた。スサノオは八つの酒器に酒を準備させ、大蛇を酔わせたうえ、その体を切り散らしたところ、肥河は血に変じて流れたという。

そして大蛇の尾の中から草薙剣(くさなぎのつるぎ)を得たスサノオは出雲の須賀に宮を造り、みずからの知略と勇武で救い出した娘、奇稲田姫(くしなだひめ)と結婚(後略)。
(『日本架空・伝承人名事典』平凡社, 1986)


素戔鳴尊を祀った「すさのうじんじゃ」(素盞雄神社、須佐男神社、須佐之男神社など)は全国にいくつもありますが、東京・荒川区にある素盞雄神社は素盞雄大神を御祭神とする神社です。「御由緒」に次のようにあります。

当社の開祖となる黒珍(こくちん:修験道の開祖役小角の高弟)の住居の東方小高い塚上に奇岩がありました。
 
黒珍はそれを霊場と崇め日夜斎戒礼拝すると、平安時代延暦14年(795)4月8日の夜、小塚の中の奇岩が突如光を放ち二柱の神様が翁に姿を変えて現れ、「吾はスサノオ大神・アスカ大神なり。吾れを祀らば疫病を祓い福を増し、永く此の郷土を栄えしめん。」と御神託を授け、黒珍は一祠を建て鄭重にお祀りし、当社が御創建されました。

次いでスサノオ大神の御社殿を西向きに御造営し6月3日、アスカ大神の御社殿を南向きに御造営し9月15日、それぞれ御神霊をお遷し致し、4月8日「御創建疫神祭」・6月3日「天王祭」・9月15日「飛鳥祭」の祭禮日が定まりました。
(http://www.susanoo.or.jp/yuisho/index.htmlより)

   
(2)

素盞雄神社は都電荒川線「三ノ輪橋」で下車して、千住大橋の方へ10分ほど歩いたでしょうか、左手にあります







◆芭蕉句碑






◆飛鳥社






◆富士塚と瑞光石





◆素盞雄大神



◆拝殿

鳥居は反対側にもう一つあって、拝殿はその手前にあります。最後になってしまいましたが、手を合わせます。




 


(3)

『日本振袖始』は人形浄瑠璃として享保3(1718)年、大阪・竹本座。歌舞伎としては文化6(1809)年に江戸・市村座で、7代目市川團十郎が素戔嗚尊を演じた記録があります。


国立劇場では昭和46(1971)年に初演されています(第46回歌舞伎公演)が、平成30(2018)年7月、歌舞伎鑑賞教室(第94回)で上演された時に初めて観ました。『日本振袖始 ―八岐大蛇と素戔嗚尊― 』との外題で「出雲国簸の川(いずものくにひのかわ)川上の場」の一幕、岩長姫、実は八岐大蛇=中村時蔵、稲田姫=坂東新悟、素戔鳴尊=中村錦之助という配役でした。

「岩長姫が酒の香りに誘われて大きな甕(かめ)の酒を次々と飲み干し、酔って舞い狂いながら次第に大蛇の正体を見せていく、前半から、八岐大蛇となって素戔鳴尊と壮絶な戦いを見せる後半」(パンフレット、3頁)へと息もつかせぬ面白い芝居でした。


公演パンフレットと観覧券
   


お読みいただきありがとうございました。

 「歌舞伎の舞台名所を歩くHOME
(2017年1月17日撮影)
 
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