歌舞伎の舞台名所を歩く

  狐忠信霊碑
義経千本桜 


 (1)

『義経千本桜』(よしつねせんぼんざくら)「川連法眼館の場」です。

伏見稲荷の前で義経と別れた静御前は、忠信を伴って吉野山の川連法眼館へ到着します。ところが既に忠信は来ていたのです。不審に思って詮議すると、静御前と一緒にきた忠信は実は狐でした。義経が静に与えた初音の鼓はこの狐の親の皮でできていたのす。

忠信 その鼓は私が親、私めはその鼓の子でござりまする。

静さまはまた我が君を、恋い慕う調べの音、変わらぬ音色と聞こゆれども、

この耳へは両親(ふたおや)が、物言う声と聞こゆるゆえ、呼び返されて幾度か、戻った事もござりました。

只今の鼓の音は、私ゆえに忠信どの、君の御不審蒙って、暫くも忠臣を、苦しますは汝が科、早々帰れと父母の、教えの詞に力なく、元の古巣へ帰りまする。今までは大将の御目を掠めし段、お情には静さま、お詫びなされて下さりませ。

縁の下より伸び上がり、我が親鼓に打ち向かい、交わす詞のしり声も、涙ながらの暇乞い、人間よりは睦まじく、

これを聞いた義経が鼓を与えると聞いて、 

  ナニ、その鼓を下されんとな。ハゝア、有難や忝なや。焦がれ慕うた親鼓、辞退申さず頂戴せん。
(『名作歌舞伎全集』第2巻、325-26頁)

親子の情愛は人も動物もかわりはありません。
 
 
勝川春草「初代中村仲蔵の狐忠信」 天明7(1787)年2月大阪中村座「義経千本桜」
山口県立萩美術館 浦上記念館蔵
(『江戸の華 歌舞伎絵展』図録(東武美術館, 1999)79頁より)


(2)

この供養塔に出会ったのは全くの偶然でした。

春の吉野山に遊んだ時のことです。



金峯山寺を参詣して、



出ると、「脳天大神」という名の神社があることを知ります。



階段が450段! ちょっと躊躇しますが、その珍しい名ゆえに行ってみることにします。



さっそく階段です。鳥居の上には苔が見えますし、



かなりの歴史を感じます。



下り始めてどのくらい歩いたでしょうか、左へ曲がろうとすると何かの碑が目に入ります。



よく見ると、何と「狐忠信霊」と刻まれているのです!



その説明板です。



こんなところで、思いがけなくこのような碑に出会ったことに驚き、同時に嬉しくなります!

手を合わせて下りますと、赤い橋があり着いたようです。



お参りをして、



引き返します。





碑のところへ来ます、もう一度よく見ます。千本桜の舞台が再び蘇ってきます。



   
(3)


三大名作の一つ『義経千本桜』、歌舞伎としての初演は延享5(1748)年、江戸・中村座。

狐忠信が登場するのは「鳥居前の場」「吉野山」と「河連法眼館の場」通称「四の切」。

通しの上演で狐忠信を演じた忘れられない役者が二人います。

一人は昭和51(1976)年、国立劇場開場十周年記念として10月と11月に通しで上演した時に、知盛・権太・忠信の三役を演じた2代目尾上松緑。

もう一人は3代目市川猿之助(現・2代目猿翁)。昭和43(1968年)年に国立劇場で「宙乗り」をして以来、歌舞伎座でも狐忠信を演じました。

『千本桜』の三場面、それぞれの見せ場のある名場面で、狐忠信は観客の心を掴んではなしません。


「河連法眼館の場」(田中良 『歌舞伎定式舞台集』(大日本雄弁会講談社, 1958)より)


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(2018(平成30)年6月17日)
 
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