歌舞伎の舞台名所を歩く

  富岡八幡宮
『八幡祭小望月賑』ほか


 (1)

河竹黙阿弥の傑作の一つに『八幡祭小望月賑』(はちまんまつり よみやのにぎわい)、通称「縮屋新助」(ちぢみやしんすけ)、または「美代吉殺し」があります。

越後の旅商人・新助は芸者の美代吉を二度助け、良い仲になります。ところが…。

美代吉の縁切りの愛想づかしは名セリフです。

新助 はていつぞや船で約束したは、新三殿が元の身になったら別れて、私(わし)に身を任せようと言うたじゃないか。

みよ 
ありゃ皆嘘でござんすわいな。

新助 
え、そんならあの時言うたことは、嘘じゃというのか。

みよ 
あい、陸(おか)と違って川中の船のうちには唯二人、厭と言うたら手込めにもしなさり兼ねぬ素振りゆえ、ほんのお前の気休めに、あゝ言うたのはみんな偽り、それが苦界の仕掛文庫、打ち明けて言や偽りを真実(まこと)と思うは舟水のまだ味知らぬお前ゆえ、手鍋提げよと口には言えど実は乗りたい玉の輿と唄に唄えどありようは、玉の輿より味噌こしを提げても好いたその人と添おうと思うが苦界の楽しみ、身の詰まりとは知りながら、浮名巽(たつみ)の中裏で噂になった新三さん、しかけは元より看板の櫛笄(くしこうがい)も入り上げて、金八さんから損料で借りて座敷へでるようになっても襟(えり)につかぬが情。譬えて言わば船よりも駕籠は丈夫なものなれど、乗りかえられぬが仲町育ち、新地の尖端(はな)じゃなけれども、こう乗っきって言うからは、これが別れの八幡鐘、突きだされたら新助さん、言えば言うほどお前の恥、はて三月から袷(あわせ)着る嘘はところの習いじゃわいなあ。
(『名作歌舞伎全集』第11巻、58-59頁)

外題の「八幡祭」は、富岡八幡宮の8月15日の祭を指します。(ちなみに『名月八幡祭』は、後に池田大伍によって書き替えられた一作です。)


また、初代並木五甁作く『富岡恋山開』(とみがおか こいのやまびらき)、通称「二人(ににん)新兵衛」という芝居がありますが、この二幕目は「深川八幡境内の場」に設定されています(『(『名作歌舞伎全集』第8巻、269頁)。

『富岡恋山開』の「山開」は富岡八幡宮の別当・永代寺が、毎年3月にその庭を一般に公開したことを言います。

【参考】

鳥居清長「茶見世十景 冨ヶ丘」 天明3(1783)年頃 中判錦絵 平木浮世絵財団蔵
〔石灯籠は、富岡八幡の門前の岡場所仲町より奉納されたもの。参道にはこうした奉納石灯籠が連なっていた。いなせで評判の深川芸者と供の者が、店先を行くところである。〕
(「鳥居清長碑建立記念 鳥居清長名品展」図録(回向院、2013年)13頁)


(2)

富岡八幡宮へは東京メトロ東西線「門前仲町」駅で下車、歩いて3分ほどで着きます。












本殿の右へ行くと、横綱力士の碑がたっています。熱中した横綱の名も刻まれていて、土俵姿を彷彿とさせます。












境内をぐるっと回ってみます。


 花本社(御祭神 松尾芭蕉命 例祭日 10月12日)


 七渡神社




骨董市も名物で、参道から本殿の左の方まで、多くの人であふれています。




   
(3)

『八幡祭小望月賑』の初演は万延元年(1860)7月 江戸・市村座。


国立劇場では、昭和49(1974)年9月に初演(第67回歌舞伎公演)され、平成7(1995)年11月に再演(第195回歌舞伎公演)されています。

初演時の配役です。

縮屋新助・17代目中村勘三郎、芸者美代吉・7代目尾上梅幸、穂積新三郎・14代目守田勘弥、他に尾上多賀之丞・尾上菊蔵・坂東弥五郎・澤村源之助といった人たちが脇をかためました。個性的な脇役が、実に充実していたと思います。


再演時の縮屋新助は9代目松本幸四郎(現・2代目松本白鸚)、美代吉は中村福助でした。

2000年6月には歌舞伎座で、同じ配役で上演されています。
   


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(2018(平成30)年11月5日)
 
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