歌舞伎の舞台名所を歩く |
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『壺坂霊験記』 | |
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『壺坂霊験記』(つぼさか れいげんき)、通称「壺坂」の「坐頭沢市住家の場」、床の浄瑠璃です。 |
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よしあし曳(び)きの大和路や、壺坂の片ほとり土佐町に、沢市という座頭あり、生れついたる正直もの、琴の稽古や三味線(さみせん)の糸より細き身代に、妻のお里は健(まめ)やかに、夫の手助け賃仕事、つづれさせちょう洗濯や、糊(のり)かいものを打盤の、音もかすかな暮らしななり。 (『名作歌舞伎全集』第7巻、341頁) ※お寺は壺「阪」、芝居では壺「坂」と表記されています。 |
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沢市は妻のお里が毎晩家を抜け出すので、男に会いに行っているのではないかと疑います。 お里のくどきです。 |
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お里 そりゃ胴慾じゃ胴慾じゃわいな。いかに賤しい私じゃとて、現在お前を振り捨てゝ、ほかに男をもつような、そんな女子(おなご)と思うてか。父様(とゝさん)や母様(かゝさん)に別れてから、伯父様のお世話になり、お前と一緒に育てられ、三つ違いの兄さんと、 いうて暮らして居るうちに、情けなやこなさんは、うまれもつかぬ疱瘡で、 目かいの見えぬその上に、 貧苦に迫れど何のその、いったん殿御の沢市さん、たとえ火の中水の底、未来までも夫婦じゃと、思うばかりかコレもうし、 お前のお目を治さんと、この、 壺坂の観音様へ、明けの七つの鐘を聞き、そっと抜け出て只一人、山路厭わず三年(みとせ)越し、せつなる願いに御利生の、無いはいかなる報いぞや、観音様も聞こえぬと、今も今とて恨んでいた、わたしの心も知らずして、 ほかに男があるように、今のお前の一言が、 私は腹が立つわいのと、口説き立てたる貞節の、涙の色ぞ誠なり。はじめて聞きし妻の誠、いまさら何と沢市が、侘びる詞も涙声。(同上、343頁) |
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次は「壺坂寺観音堂の場」、沢市は、「そんならわしは今宵から三日の間、こゝで断食」をする、と言って、お里を帰したあとで、谷底に身を投げてしまいます。 胸騒ぎを覚えて戻ったお里は、「夫を先立て何楽しみに長らえん」と言って、形見の杖を持って、自らも身を投げてしまいます。 そして「壺坂寺谷間御利益の場」、 |
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頃は如月中空や、早や明け近き雲間より、さっと輝く光明に、つれて聞こゆる音楽の、音も妙なるその中に、いとも気高き上臈(じょうろう)の、姿を仮に観世音、出現あるぞ有難き。(同上、349頁) |
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観音様は「日頃信心の功徳により、寿命を延ばし与うべし」と言って、二人を救うのでした。 |
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『壺坂霊験記』所縁の壺阪寺の山号寺号は「壺阪山南法華寺」、西国霊場第6番の真言宗のお寺です。 上 近鉄吉野線「壺阪山」駅で下車して、プラットフォームの案内板を見ると、行きたい場所が二か所載っています。 壺阪寺への参詣すると思われる人たちが大勢降ります。 ちょうど止まっていた奈良交通のバスには、奈良らしく鹿のマークが描かれています。先ほどの人たちで満員になります。12分ほどで着きます。 バス停を降りると、奈良盆地が見渡せます。 すぐ右が壺阪寺です。 右の大講堂が入口で入山料(600円)を収めます。 養護盲老人ホーム発祥の地とあります。 山吹の寺としても知られます 仁王門への階段がありますが、その手前の階段のない坂を上ります。 左に曲がると「壺阪大仏」、その奥に三重塔が見えます。 ここにつぼさか茶屋があり、2年前に来たときには、ここでその名も「お里ぜんざい」(600円)をいただいたのを思い出します。 売店には、「壺」繋がりで「思う壺」のお守りが。 仁王門の手前には神社があり、鳥居の右にさざれ石が見えます。 散った桜の花びらがかるさざれ石(春の写真は2016年4月10日、他は2018年11月15日撮影) ◆仁王門 お里のセリフに、「この壷坂の観音様は、その昔高位のお方が眼病にてお悩み、それ故にこの観音様へ御立願(ごりゅうがん)なされた時、早速お目が開いたという事じゃわいな」とあります(同上、346頁)。 ◆手水舎 手水舎の左から見た三重塔 ◆多宝塔 ◆灌頂堂 上に見えるのは八角円堂 多宝塔のところに戻ります。 ここからも高いところにある天竺渡来大観音石像と壺阪仏像が見えます。 |
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階段を上り、 一度振り返ってみます。 石垣の上には礼堂、下には二体の仏像が。 左の仏像 右の階段を上ると慈眼堂。 ◆三重塔(重要文化財) ◆礼堂(重要文化財) 茅の輪のようにくぐってみます。 社務所では御朱印を求める人が並んでいます。一人のお坊さんが、筆の上の方を持ってすらすらと流れるように筆を滑らせています。何とも見事な筆さばきです! ◆願望封じ祈願 この木札に名前と数えの年齢を書いて、ご本尊の前で眼病封じのお願いをします(ぼくは何年か前からずっと眼科のお世話になっているので、これ以上悪くならないようにお願いします)。そして二つに割って、名前を書いた方を札掛けにかけます。 残った片方は帰りに受付で渡すと、「願主」の下に名前が書かれた大きな御朱印、片方の面に「眼」・もう片方に「心の眼を開いて」「思いやりの心を広く深く」と印刷された散華、「もう一度お参り」(次回無料入山券)の札などと一緒に入れた紙袋を下さいます。 ご本尊は十一面千手観音菩薩、親しみのあるお顔をされていて、どこからでもこちらを見つめておられるように感じます。 左に「夫婦仲が円満になる沢市の杖」が置かれているのはちょっと驚きです。次の説明があります。 「壺阪霊験記に(「で」ではなく「に」)知られる沢市使用の杖として、古くから壷阪寺に伝わる杖である。さわると夫婦仲が円満になると伝えられ、この度特別に出典されました。」 絵馬掛けもあり、図柄はお里沢市で、「縁結び」の文字。 外に出られるところがありますのでぐるっと回ってみます。 正面に行くと扁額があり、真正面の奥にご本尊が見えます。 ◆まよけ橋 本堂を出ます。左に橋があり、「魔除け記念写真 写真を取って魔を取ろう」とあります。 後ろの壁に見えるのは天竺渡来佛伝図レリーフ「釈迦一代記」 ◆お里沢市の像 本堂の裏手に行くとお堂があり、二人の話が説明されています。 そして中から浄瑠璃が聞こえてきます。 ここにお里沢市の像がたち、てすりの向こうは身投げの谷と書かれています。 |
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『壺坂霊験記』、浄瑠璃原曲の初演は明治12(1879)年、大坂・大江橋席、歌舞伎としては明治21(1988)年、京都・四条道場芝居。 昭和58(1983)年6月、国立劇場の歌舞伎鑑賞教室(第22回)で上演され、沢市が10代目市川海老蔵(後の12代目市川團十郎)・お里が尾上菊五郎という配役でした。 時々舞台にかかっているようですが、ぼくが観たのはこの一度の記憶しかありません。沢市の眼があいた後で、お礼に観音様のところへ急いで行こうとするとき、まだ慣れないので思うように進めず、今まで通りに目をつぶって杖を頼りに急ぐシーンで笑いがおきたことなどを思い出します。 |
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(2018(平成30)年11月20日) |
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