歌舞伎の舞台名所を歩く

  源頼光朝臣塚
土蜘 

 (1)

新古演劇十種の一つ『土蜘』のクライマックス、

刀持 のうのう我が君、御油断あるな。
頼光 なに、油断するなとは。
刀持 火影(ほかげ)にうつる僧の姿、いといと怪しく存じ候。

怪しむ詞(ことば)に驚きて、袖を返せば傍(かたえ)なる、燈火(ともしび)はたと消えにける。

頼光 風も吹かぬに燈火の、消えしは化生の業なるか。
智籌 やあ愚かなる仰せよな、我がなる技と知らざるか。
頼光 左いう汝は何者よな。
智籌 我が背子が来べき宵なり、さゝがにの、
頼光 (くも)の振舞いかねてより、

知らぬというになお近づく、姿はの如くにて、
掛くるや千筋(ちすじ)の絲筋に、五体を包み身を苦しむ。
頼光化生と見るよりも、枕辺にある膝丸を、抜き開いて丁と切れば、
身を躍らして背(そむ)くるところを、続けざまに薙ぎ伏せつゝ、得たりや応と罵しる声に、
また立ち掛かれど、膝丸の、剣(つるぎ)の威徳に叶わじと、形は消えて失せにけり、失せにけり。
(『演劇界増刊 歌舞伎名作舞踊』(演劇出版社, 平成7年)158-59頁)
   

歌川国芳「源頼光土蜘蛛の妖怪を斬る図」
  (『国芳イズム 歌川国芳とその系脈』(青幻舎, 2016)11頁より)

ちなみに、歌川国芳は「源頼光の四天王土蜘蛛退治之図」 という三枚続きも描いています。
 
 
(2)

「源頼光朝臣」塚は京都市北区の上品蓮台寺(じょうぼんれんだいじ)にあります。



京都駅からバスに乗って「二条」で下車し、千本閻魔堂を通り過ぎるとすぐです。



おや、入れないのかなぁ、と思いますが、大丈夫です。



ご由緒です。



本堂で手を合わせます。



本堂右のこの入口を見ると「拝観はしておりません」の文字が目に入ります。靴がたくさん見えますが、何かの法要でもおこなわれているのでしょうか。



本堂の前の長方形の境内をぐるりと回ります。



スモモの木ののび具合は何とも言えません。



ここか、と思いますが、違います。





古い井戸の周り、



お稲荷さんだったでしょうか、鳥居の内外、



境内をぐるりと回っても見つかりません。

勝手口のようなところで聞こうとしたのですが、誰もいません。もう一度回りますが、同じです。暫くしてようやくお寺の人に聞くと、墓地の奥にあると教えてくれます。墓地内とは思いませんでした。

行ってみると、奥に一本の木がたっています。



太い木の下に石碑が、



そして横に説明板があります。



ちなみに、『平家物語』第108句にこうあります。

また頼光、そのころ瘧病(ぎやへい)わずらはる。なかばさめたるをりふしに、空より変化の者下り、頼光を綱にて巻かんとす。枕なる膝丸抜きあはせ、「切る」と思はれしかば、血こぼれて、北野の塚穴のうちへぞつなぎける。掘りてみれば、蜘蛛にて有り。鉄(くろがね)の串にさしてぞさらされける。それより膝丸を「蜘蛛切」とぞ申しける。
(『新潮日本古典集成 平家物語』(下)「剣の巻 下」279頁)
   
   
 (3)
   
『土蜘』の初演は明治14(1881)年、東京・新富座。5代目尾上菊五郎が、3代目の三十三回忌追善興行の一つとして演じ、尾上家の家の芸「新古演劇十種」の第一作がこの舞踊劇でした。

能の『土蜘蛛』から歌舞伎化された松羽目物の名作で、河竹黙阿弥作詞による長唄も聞かせます。

昭和52(1977)年2月、昭和59(1984)年11月の歌舞伎座では、2代目尾上松緑が演じました。松緑は大好きな役者で、多くの舞台を見る幸運に恵まれましたが、智籌は妖気漂う不気味さを感じさせる、最も印象に残る役の一つでした(頼光は尾上梅幸)。

顔見世の松緑は『演劇界』(12月号)の表紙を飾っていますし、カラーグラビアもこの名優を懐かしく思い出させてくれます。

最近では、2017年12月に歌舞伎座で、当代の尾上松緑(頼光は坂東彦三郎)が祖父に迫る演技を見せました。


ちなみに、同じく能の『土蜘蛛』を原作とする舞踊劇に『蜘蛛絲梓弦』(くものいとあずさのゆみはり)があります。こちらの蜘蛛の精は傾城に扮して頼光に近づきます。


最後に『土蜘』について書かれた一文を引用します。

先代尾上梅幸が得意とした出し物で、まず 月清く夜半とも見えず」でこの人が登場すると、観客は皆、ぞっとしたものだと故老はいう。身体の周りに、妖怪の何とも知れぬ不気味さが漂う舞台であったとみえる。

尾上家の十八番もの、お化けや幽霊に持って来いの仁、口跡にめぐまれていたのだからさこそと思われる。主役土蜘の精が僧智籌に変身しての花道、揚幕の出が大切で、ライトは勿論つけず、いつもはチャリンと音立てて開ける幕も、そっと気付かれぬようにして出、いつも間にか七三へ立っているからすごみが感じられる。

大向こうの掛け声はもとより、一階の客席でも、大仰に後を振りむき、招さしなどで隣席の人へ教えるのは慎むべきだろう。役者の苦心を素直に受け入れる、いわは観客の礼儀とでもいおうか、芝居通になるより余程大切な鑑賞態度だと思う。(藤)
(『歌舞伎名作舞踊』156頁)





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(2018(平成30)年5月25日)
 
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