歌舞伎の舞台名所を歩く

  佃島
『盟三五大切』


 (1)

昭和51(1976)年8月、国立劇場(小劇場)で、鶴屋南北作『盟三五大切』(かみかけて さんごたいせつ)が上演されました(第79回歌舞伎公演)。その序幕第一場が「佃沖新地鼻の場」。深川の人気芸者・小万(坂東玉三郎)には三五郎(初代尾上辰之助=3代目尾上松綠)という船頭の情人がいます。二人は暗闇の大川に船で漕ぎ出します。そして小万にぞっこん惚れて通う客の一人・薩摩源五兵衛(片岡孝夫=現・片岡仁左衛門)も…。

平成4(1992)年4月には大劇場で再演されていますが、最近では平成29(2018)年8月に歌舞伎座の舞台にかかりました。

この場は滑るように自在に動く船が見せ場で、観客が喜ぶところです。


 歌川国芳「東都富士見三十六景 佃沖晴天の不二」 弘化年間(1844-48)初期

 「巨大な四つ手網を器用に操る佃島の漁師は、黙々と仕事に没頭する。漁師の舟にいましもぶつかりそうな猪牙舟の方では、客も船頭もそろって、前方に美しく八の字を描く富士の姿に見惚れている。「ぎいこ、ぎいこ」と櫂の音が響く海上は今日も穏やかで、万民の天下泰平を謳(うた)っている。
 先人北斎の作に倣って、標題に三十六景と掲げるものの、実際には五図のみが確認される、上製の錦絵シリーズ。ただ洋風であれば、それだけで高く評価されがちな前近代の江戸期の絵画のなかで、ぴりっと効いた国芳の小粋なセンスは」重要である。
 (新潮日本美術文庫22『歌川国芳』(新潮社, 1998)15)


(2)



佃島へは、今は佃大橋が架かっていますが、以前は船で渡っていたことがわかります。




 景観照明設置工事中の佃大橋


 中央大橋

佃大橋を渡ると、こちらにも「佃島渡船」の石碑が建っています。この通りにはつくだ煮の老舗、今は殆ど姿を消した木造なのが嬉しい。

地図を見ると、「佃島・佃煮発祥の地」も文字が見えますが、この辺りか、或いはもしかするとここなのでしょうか。




佃島といえば、住吉神社が有名です。

◆住吉神社

「佃から月島一帯の氏神で、大阪の住吉神社の分霊を移したものです」と中央区の案内にあり、「毎年行われる例祭のほか、3年に一度行われる本祭りでは、獅子頭宮出し(区民無形民俗文化財)や八角神輿(区民有形民俗文化財)の宮出し、船渡御などが行われます」と続きます。



境内には、いかにも佃らしい塚や、この地に所縁の人の碑などが建っています。









また近くに佃小橋が架かっていますが、こんな珍しいものも。



橋を渡って月島の方へ向かうとすぐ右に佃波除稲荷神社、「さし石」というのがあります。佃では、両手で物を上にあげて持つことを「さす」と言ったことから、力石を「さし石」と称したとのこと。佃島の力自慢の漁師たちがさし上げた石で、この神社に奉納された貴重な民俗文化財と言ってよいのでしょう。






お読みいただきありがとうございました。

  「歌舞伎の舞台名所を歩くHOME
(2019年10月9日撮影)
 
inserted by FC2 system