歌舞伎の舞台名所を歩く

  矢口の渡し跡
『神霊矢口渡』


 (1)

福内鬼外(平賀源内)作『神霊矢口渡』の「頓兵衛住家の場」、

「鴛鴦のつがい離れぬ二人連」の浄瑠璃で、新田義峯が傾城台(うてな)と共に生麦村を落ちのびて、矢口渡にさしかかります。

義峯 のう台(うてな)、こゝが兄義興の御最期ありし矢口の渡、この水底が恨めしい。
 
 川に向かいて合掌し、

南無尊霊出離生死頓生菩提、南無阿弥陀仏々々。

 回向の声と諸共に、しばし涙に暮れ給う、台も共に涙声。

(『名作歌舞伎全集』第4巻、266頁)

義興は矢口の渡しの船頭、強欲な頓兵衛にはかられ船底に穴をあけられて、溺死したのでした。

そして落ちてきた義峯と傾城台が一夜の宿を求めるのが、頓兵衛の家でした。頓兵衛には一人娘のお舟がいます。これだけでも作者の巧みな作劇術と云えます。

さてどうなるでしょうか…。


(2)

矢口の渡しへは、東急多摩川線「矢口渡」駅で下車します。多摩川に架かる多摩川大橋のところに渡し場跡があるとのことで、とりあえず大通りへ出ようと、



商店街に入ります。すると船に乗っている新田義興らが描かれた旗が歓迎してくれます。



第二京浜の通りに出て、多摩川の方へ向かって歩きます。



多摩川大橋の手前で土手に降ります。



川辺には散歩する人、ジョッギングをする人、ベンチで寝ている人、凧をあげようとする人たちがいます。辺りの風景はとても東京とは思えません。緑ときれいな川、23区にもまだこんな良い場所が残っていると知って嬉しくなります。

散歩している人に聞いて、「矢口の渡し碑」を見つけます。





なるほど、簡潔で分かりやすい記述ですんなりと理解します。

土手の向こうに神社の屋根が見えるので、行ってみます。



東八幡神社です。



区のパンフレットには、

  1250年に建立。徳川入府以来、地元の人々は「湯坂八幡」と言っていたが、近くの西八幡が合祀し、明治44(1911)年「東八幡神社」となった。祭神は応神天皇。源氏の氏神また、武士の守り神として参拝されていた。
 
とあります。

また2014年に設置された「多摩川七福神」、ここには「弁財天」が祀られています。



鳥居の横に石碑があり、



昔は「矢口の渡し」はここら辺だったことがわかります。



神社で手を合わせ、



鳥居の向こうに土手が見え、先ほど見た矢口の渡しはその向こうです。




 
(3)

『神霊矢口渡』の初演は明和7(1770)年、江戸外記座。

  この作は矢口の新田神社が荒廃しているのを憂えた宮司が源内にたのんで、いわば神社の縁起とでもいうべきものをかいてもらったのだと伝えられる。この浄瑠璃のおかげで、社屋の修復がたちまち行われていたというのである(戸板康二)。 

というのですが、今でも「頓兵衛住家の場」の一幕が時々上演されます。

舞台では下手に「矢口渡」と書かれた杭が立っています。


矢口渡 頓兵衛住家渡しの場(『歌舞伎定式舞台集』(大日本雄弁会講談社, 1958)153頁より)

頓兵衛について、八代目坂東三津五郎は、

  面白みの少ない役で、引込みの韋駄天、あれはツケ打ちが、バタカラリ、バタカラリ、と特別な打ち方をするのに合せて、足を交互に、刀をかついだ手を、右肩から左肩、左から右へと引込む。そんな所ぐらいで、あとはお舟のやりいいようにしてやるだけ。(『名作歌舞伎全集』月報)
 
と書いています。これは「蜘手蛸足」というこの芝居だけの特殊な引っ込みだそうで、見せ場の一つですが、ヒロインお舟が幕切れで舞台が回って太鼓を打つところが最大の見せ場です。

強欲非道な父親の頓兵衛(シェイクスピアの『ヴェニスの商人』のシャイロックに比する人もいます)に切られたお舟は、
 
   何を言うても身一つに、思い詰めたる義峯様、この世で添われぬ悪縁と、聞けば聞くほど猶恋しく、お手にかゝって死んだなら、親と一つでないという、

言いわけ立たば未来にて、いとし殿御に逢わりょうかと、それを頼み二つには、

 一人の娘が先立てば、一念発起もし給いて、お心も直ろうかと、

それを頼みに死にまする。(『名作歌舞伎全集』第4巻, 275頁) 

と言って、義峯を助けるために、村々の囲みが解かれる合図の太鼓を打とうとします。


矢口渡 渡し場鼓楼の場(『歌舞伎定式舞台集』、155頁より)

この舞台は反廻しになり、上手の櫓は前に出てきます。頓兵衛の手下の六蔵がからんできますが、お舟は無事に太鼓を打つのでした。 

頓兵衛は舟を漕ぎ出しますが、義興の亡霊が現れ、射殺されます。



最近では、平成27(2015)11月、国立劇場の舞台にかかりました(第296回歌舞伎公演)。

国立劇場ならではの通しで、序幕「東海道焼餅坂の場」、二幕目「由良兵庫之助新邸の場」、三幕目「生麦村道念庵室の場」、そして大詰が「頓兵衛住家の場」でした。

頓兵衛の中村歌六に対してお舟は中村芝雀(現5代目中村雀右衛門)、他には義岑・中村歌昇、うてな・中村米吉、義興の霊・中村錦之助という配役でした。


公演チケット


国立劇場では今までに勉強会で何度か取り上げられていますが、平成30(2018)年の夏にも上演されました。


公演チラシ(部分) 



お読みいただきありがとうございました。

  関連で「新田神社」・「頓兵衛地蔵」もご覧ください。

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(2018(平成30)年8月28日)
 
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