歌舞伎の舞台名所を歩く |
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『高田里山吹乙女』 | |
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『高田里山吹乙女』(たかたのさと やまぶきおとめ)という芝居があります。 ある日、太田道灌は家来を伴って狩に出て、雨に降られます。たまたま向こうに人家が見えるので、行ってみます。家来の一人が声をかけると、出て来たのは一人の乙女。「俄の雨に難儀致す。雨具を借用申したし」と言うと、その乙女は垣根に咲いている山吹の一枝を手折って、差し出します。 |
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景家 雨具の用を申しつけしに、山吹一枝手折りしは ― むら 御覧の通りの賤ヶ家ゆえ あと言ひさして恥らへば 景家 合点ゆかざる乙女の振舞、いなかるわけか、但し武士を愚弄いたすか。 眼に角たててつめよれば 道灌 景家待て。 景家 はっ。 道灌 今山吹の一枝を乙女がそちにいだせしは、この家に雨具はなきということわりなるぞ。 景家 この一枝がことわりとは 道灌 そのいいわけは乙女にたずねよ。 |
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しかしその乙女は、お恥ずかしうござりまする、と云って会釈をして中に入ってしまいます。そこで道灌が解き明かします。 |
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道灌 それぞ即ち古き歌に、 七重八重花は咲けども山吹の実の一つだになきぞかなしき 花は咲けども山吹は実を結ばざるもの故に、雨具の蓑になぞらえて、みの一つだになきという、いいわけなるぞ。 古歌の心をききさとせば、皆々感じ入りにける。 (歌舞伎座上演台本より) |
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鈴木春信「山吹の枝を差し出す娘」(見立山吹の里) 「ボストン美術館浮世絵名品展 鈴木春信」 (あべのハルカス美術館ほか, 2017-18)図録 57 より |
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「山吹の里」は「豊島区高田一、二丁目のうち」「江戸川に架かる面影橋の北詰に碑がある」と、『江戸芸能落語地名辞典』(下、220頁)に書かれています。 都電「面影橋」で下車し、橋を渡ると すぐ右にその石碑があります。 説明板をざっと読みます。 |
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この太田道灌と山吹の逸話を一場面にした像が、新宿中央公園にあります。 東京メトロ丸の内線の「西新宿」駅で下車し、都庁を目指して歩きます。この公園はその裏手にありますので、迷うことはありません。 |
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太田道灌の像はあちこちにあるそうですが、有楽町駅近くの東京国際フォーラムの中にも建っている、と知って行ってみます。ガラス棟Gの東京駅寄りの入口から入ると、すぐ右に見えます。 |
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『高田里山吹乙女(たかたのさと やまぶきおとめ)』は、道灌の没後500年に当たる昭和61(1986)年に、東京都が道灌劇化を企画し、松竹に委嘱した作品でした。 河竹黙阿弥の『歌徳恵山吹(うたのとく めぐみのやまぶき)』を「昭和の黙阿弥」と言われた劇作家の宇野信夫が脚色し、この年の10月に歌舞伎座で上演されました。 宇野信夫が「道灌劇化について」という題で書いた文の一部を読んでみます。 |
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いろいろな資料を調べてゆくうちに、黙阿弥が道灌を劇化していることを知りました。義太夫の出語りで、私の知識の範囲ではこれ迄上演したことはありません。これも、俗説の通り、道灌が山吹を捧げる少女の心をさとらないことになっています。 道灌に関して深い知識のない私が、なまじさかしらだてに道灌を劇化するより、道灌の、いわば此の濡れ衣を晴らしてさしあげたほうが意味があるかもしれない ― そう考えついて、黙阿弥には失礼ながら、道灌を歌道をたしなむ人に訂正することにしました。筋だてにも、筆を加え、黙阿弥は義太夫をつかいましたが、江戸をひらいた道灌には常磐津の方がふさわしいような気がします。 (歌舞伎座プログラム、30-31頁) |
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しかし古歌の謎解きだけでは芝居になりません。 プログラムの「解説と見どころ」には、 |
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おむらが実は道灌に滅ばされた豊島家の息女で、父の仇と切りかかるのを制し、合戦の模様を語って豊島氏から預かった観世音を与えるという筋は、原作どおり。 |
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とあり、もう一つの見どころを作って、一幕二場の芝居に仕立てています。 配役をコピーします。 孝夫は現・片岡仁左衛門、蓑助は9代目坂東三津五郎、八十助は10代目三津五郎、橋之助は現・中村芝翫で、時の流れを感じないではいられません。 ちなみに、この年には「道灌まつり」が開かれ、東京都庭園美術館では「太田道灌記念美術展」が開かれるという賑やかな一年でした。 また落語に「道灌」があり、古今亭志ん生・三遊亭金馬・柳家小さん・立川談志などが得意としましたが、全員CDで(もしかするとネットでも)聞くことができると思います。お楽しみください。 |
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(2018(平成30)年10月15日) |