歌舞伎の舞台名所を歩く

  柳橋
『江戸育御祭佐七』


 (1)

三世河竹新七作『江戸育御祭佐七』(えどそだち おまつりさしち)、通称『お祭佐七』の大切は「柳橋小糸内の場」です。小糸は柳橋の売れっ妓芸者、佐七は威勢のいい鳶の者で相思相愛の仲。ところが小糸の養母は金のために他の男と結ばせようとして企みます。心ならずも愛想づかしをする小糸。だまされたと知った佐七、

佐七 コレ、うぬらはそれで済むかはしらぬが、書物まで取りかわした二人が仲、浮気稼業の芸者でも、色にゃア相応義理があるわえ。欲に目がくれ侍の、襟についた拵(こしら)え事、犬にもおとる人でなし、畜生あまともしらねえで、長く置いちゃア世間へも、ぱっと浮名が立つ鳥の、跡をにごさぬようにして、清くかえしてやったのも、水にした上このつらへ、よくも泥をぬりゃアがった。うぬ、どうしたら腹が癒(い)えよう。
(『名作歌舞伎全集』(創元社、1971)第17巻、352頁)

そして次は「柳原土手殺しの場」、小糸を殺した後で、書置きを見て本心を知り、早まったことをしてしまったのを知ります。愛想づかしから殺しへという典型的な芝居です。

   
 (2)

柳橋について「柳橋ぶらぶらマップ」(2017 柳橋めぐり商店街作成)から引用します。
 
  柳橋という町の名は、江戸中期の頃から花街として人によく知られ、橋のほとりには船宿が数多く並び大変な賑わいだったようです。幕末・明治以降も花柳界として名高く、夏には両国橋を中心に大川で花火が打ち上げられていました。
 
  春の夜や 女見返る 柳橋

正岡子規によるこの句を始め、柳橋は文人たちに度々とりあげられ、山本周五郎、池波正太郎、藤原周平などの時代小説を始め、映画やドラマの舞台にもなり、江戸の雰囲気を感じられる数すくない町として、今も人々に親しまれています。
 
   
柳橋へはJR総武線の「浅草橋」駅からが一番近いのですが、乗り換えなくても済む東京メトロ日比谷線の「小伝馬町」駅で下車、江戸通りを行きます。途中、都営新宿線の「馬喰町」駅を通り、交差する靖国通りを右に、両国橋の方へ向かいます。



「両国橋西」の交差点で左に入る通りが「柳橋通り」で、柳橋はすぐ近くに見えます。



橋の右に石碑が並んでいます。






   



柳橋は神田川に架かり、美しい曲線を描いています。





左側から橋を歩くと、神田川の左右に納涼船・遊覧船が連なっています。




橋を渡って、振り返ってみます。



神田川に沿って歩くと、船宿が並んでいて、料理のメニューを貼ってあるところもあります。






すぐに浅草橋で、右折し、さらに最初の通りで右折します。柳橋町会の掲示板があります。



左の角に神社が建っています。町内の守り神として信仰をあつめてきたことでしょう。





右に曲がると、橋に戻ります。角の看板は料亭でしょうか…。



こちら側からは両国橋とその向こうに高速道路が見えます。階段がある手前は「隅田川テラス」で、川に沿ってずっと繋がっています。



 
広重(2代?)「東京名勝図会 柳橋の夜景」
隅田川テラスの壁に


(3)

『お祭佐七』の初演は明治31(1898)年の歌舞伎座。

それほど多く舞台にはかかってこなかったようで、国立劇場でもまだ上演されていません。

古い舞台写真を見ると、11代目市川團十郎が6代目中村歌右衛門を相手に、佐七を演じています。12代目團十郎も4代目中村雀右衛門の小糸で佐七を演じました(1998年5月歌舞伎座)。

当代では、お祭佐七=尾上菊五郎、小糸=中村時蔵という配役で、2008年3月の歌舞伎座で上演されました。


ちなみに落語の名作「船徳」に出る若旦那、例によって道楽が過ぎて勘当されますが、居候を決め込むのは柳橋の船宿。にわか船頭になった若旦那、神田川から船を出そうとしますが…。
 


 お読みいただきありがとうございました。

 「歌舞伎の舞台名所を歩くHOME
(2019(平成31)年4月28日撮影)
 
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