歌舞伎の舞台名所を歩く

  与市兵衛の墓
『仮名手本忠臣蔵』 五段目


 (1)

『仮名手本忠臣蔵』五段目、「山崎街道鉄砲渡しの場」、百姓与市兵衛は家路を急ぐ途中、山崎街道にさしかかります。

またも降り来る雨の足、人の足音とぼとぼと、道の闇路に迷わねど、子ゆえの闇に突く杖も、直ぐなる道の堅親仁。

 ト木魚入り合方、雨音になり、向こうより、与市兵衛、脚絆、草鞋、糸立(いとだて)を纏い、菅笠を冠り、杖を突き、提灯を提げ出て来り、すぐに本舞台へ来り、

与市兵衛 アゝ今の雷(らい)さまで、雨もちっと小降りになった。どりゃ一休みして行こうか。

 ト与市兵衛、掛け稲の前の石に腰を掛け、思入れあって、

娘やお婆が俺の帰りを待っていようが、戻って話をしてやったら、さぞ喜ぶことであろう。今度なにやら聟殿に金の要ることが出来たので、わしへの相談、なんというても大枚の金、どうしようか斯うしようかと思ううち、娘のおかるが、コレとゝさん何も嘆くことはない、私の体を祇園町へ売ってなり、金拵えて下さんせとやさしい詞、それゆえ早速祇園町の親方さんへ話をして、この金受け取って戻ったが、勤め奉公するというのも良人のため、決して恥じゃない、わしゃこれから礼を言います。コレこのお金、ありがたいありがたい。

 ト与市兵衛、金財布をおしいただき思入れ、この時定九郎、掛け稲の間より手を出し財布をひったくる。与市兵衛びっくりして、

ヤア、コリャ財布を、

 ト立ち上がる。この時白刃出て与市兵衛を貫く。これにてわっと苦しむ。掛け稲を押しわけ、定九郎、黒紋附の着附、大小、尻はしおり形にて出て来り、よろしくあって刀を抜き、与市兵衛ばったり倒れる。定九郎袂の水をしぼり、思入れあって財布を取り、口にくわえ、血刀を拭く。この見得。時の鐘、忍び三重になり、白刃を鞘に納め、件(くだん)の金を数えて、

定九郎 五十両。

 トにったり思入れ。

(『名作歌舞伎全集』第2巻、58頁)

定九郎も与市兵衛も登場するのはこの場だけで、与市兵衛はあえなく殺されてしまいます。


守田勘弥の斧定九郎
(吉田千秋『写真忠臣蔵』(カラーブックス、保育社, 1983)69頁より)


(2)

与市兵衛のお墓があるというので行ってみます。



JR「長岡京」駅西口を出て、



西国街道を行きます。



駅から一度橋を渡って、20分ほどで着きます。手前にも標識があり、迷うことはありません。

この地は明智光秀の娘で後のガラシャ夫人に縁の地でもあることがわかります。



与市兵衛のお墓は、住宅の間にひっそりとたっています。



説明板には簡潔に記されています。





近づいてみてみます。下には生没年と、供養の文字でしょうか、刻まれています。




   
(3)

『仮名手本忠臣蔵』五段目に登場する与市兵衛はお軽の父親で、七段目へ話の筋をつなぐ役割り以外取り立てて言うことはないと思いますが、この不幸な老人を供養しようと思い立ったのはどんな人達だったのでしょうか…。


定九郎のせりふは「五十両」のたったの一言ですが、名場面で、いつも定九郎を誰が演じるか楽しみにしてきました。真っ先に思い出すのは、大好きだった先代の尾上辰之助、市川海老蔵(後の12代目市川團十郎)です。


この場面は浮世絵にも描かれていますが、その内の一枚です。

   
  勝川春英「二世中村仲蔵」
〔描かれているのは斧定九郎を演じる仲蔵。「一文字屋から受け取った半金五十両を懐中する与市兵衛を殺害する場面。口を開け、今にも飛び掛かろうとする迫真のポーズは美しい映像のなかに歌舞伎の醍醐味を十分表出している。」〕
(『高橋誠一郎コレクション 浮世絵名作展』図録、1983) 


ちなみに、落語の「中村仲蔵」という名作をお聞きになった方もいらっしゃることでしょう。
また戸板康二の短編に「夕立と浪人」(『江戸歌舞伎秘話』所収)があります。
どちらも定九郎の役作りを描いていて興味深いと思います。  



お読みいただきありがとうございました。

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(2018(平成30)年7月13日)
 
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