歌舞伎の舞台名所を歩く

  吉野川
『妹背山婦女庭訓』

 (1)

近松半二・三好松洛ほかの合作『妹背山婦女庭訓』(いもせやま おんなていきん)、通称「妹背山」の「吉野川の場」(山の段)、幕があくと浄瑠璃です。

古の神代の昔山跡の、国は都の初めにて、妹背の始め山々の、中を流るゝ吉野川、塵も芥も花の山、実(げ)に世に遊ぶ歌人(うたびと)の言の葉の捨て所。

妹山は太宰の小弐国人の領地にて、川へ見越しの下館。

背山の方は、大判事清澄の領内、子息清舟日外(いつぞや)より、爰(ここ)に勘気の山住居(ずまい)、伴うものは巣立ち鳥、、谺(こだま)と我と只ふたつ、経読む鳥の音も澄みて、心細くも哀れなり。

 トこのうち、かすめて浪の音、鶯笛をあしらい。

頃は弥生の初めつ方、こなたの亭(ちん)には雛鳥の、気をなぐさめの雛祭り、桃の節句の供えもの、萩の強飯(こわいゝ)腰元の、小菊・桔梗が配膳の、腰もすうわり春風に、柳の楊枝端近く。
(『名作歌舞伎全集』第5巻、167-68頁)

大判事が借花道から、後室定高は本花道より登場し…。

この後、久我之助は切腹、雛鳥は母親に首うたれます。 そして…

定高 入鹿公へ差し上ぐる雛鳥が首、御検使、御受け取り下さりませ。

呼ばわる声を吹き送る、風の案内(あない)に大判事、歎きの姿改めて、衣紋繕いしずしずと

下り立つ川辺の柳腰、娘の首をかき抱き、

大判事様 わけては何にももうしませぬ。御子息のお命は、どうぞつ思うた甲斐もない、あえない有さま。おまえさまのお心も推量いたしておりまする。添うに添われぬ悪縁を、たがいの因果。此方の娘も、添いたい添いたいと思い死(じに)。余り不便に存じます。せめて久我之助殿の息あるうちに、この首を其方(そちら)へお渡し申すが、娘を嫁入りさす心。

大判事
 実(げ)に尤も。嫁は大和、聟は紀の国。妹背の山の中に、落つる、吉野の川の水杯。桜の林の大嶋台。めでとう祝言させましょうわえ。

定高 そんなら、これまでの心もとけて。

大判事
 ハテ、たがいにあいやけ同士。

定高 エゝ、忝ないと悦ぶも後の祭り。ほんに、背たけ延びた者をいつ迄も、子供のように思うて暮らすは親の習い。あまやかした雛の道具。一人子を殺して何としょう。後に置く程泪の種。腰元共、その一式、残らず川へ流れ灌頂(がんちょう)。

 ト合方になり、奥より腰元、雛の道具を運ぶ。

未来へ送る嫁入り道具、ほかい長持犬張子、小袖箪笥の幾棹も。

定高 命存え居るならば、一世一度の送り物、五丁七丁続く程、美々しょうせんと楽しみに、思うた事は引きかえて、水になったる水葬礼、大名の子の嫁入りに、乗物さえもなかなかに。

形見も仇の爪琴(つまごと)に、首取り乗する弘誓(ぐぜい)の船。

 
トこのうち、雛の道具をだんだん流す。大判事、上手屋台にある弓を取って、これをかきよせ引き上げる。定高、琴を裏返して、この上へ雛鳥の切首を乗せて川へ流す。仕掛けにて流るる事。このうち腰元は、よろしく奥へ入る事。

あなたの岸より、彼の岸に流るる血汐清舟が、今際の、顔(かんばせ)見る親の、口に祝言心に称名。


 トこのち、大判事、切首を取り上げ、思入れあって、

大判事
 千秋万歳の……。

千箱の玉の緒も切れて、今はあえなきこの死顔。

生きて居るうちこののように、聟よ嫁よというならば、いかばかりか悦ばんに、領分の遺恨より、意地に意地を立て通す、その上重なる入鹿の疑い。仲直るにも直られぬ、義理になったが二人が不運。あれ程思い詰めた嫁、何の入鹿に従おう。とても死なねばならぬ子供、一時に殺したは、未来で早う添わしてやりたさ。言い合わさねど後室にも、これまで不和なる大判事を、●(あいやけ)と思し召せばこそ、伜に立て一人の娘を、よくこそお手に掛けられしぞ、過分に存づる。

定高どの。

定高 勿体ない、そのお礼はあちらこちら。不束(ふつつか)な娘ゆえ、大事のお子を御切腹。器量筋目も勝れた殿御。夫に持った果報もの。とはいゝながらあれ程まで、手汐に掛けて育てた子を、又手にかけて切る心。

大判事 サゝ、推量いたしておる。武士の覚悟は常ながら、まさかの時は取り乱し、介錯も遅れ、面目ない。

定高 イエイエ、それでめでたいこの祝言。これがほんの葬礼嫁入り。一代一度の祝言に、聟殿の無紋の上下(かみしも)。
 (同上、180-82)
(2)

この舞台となる場所についての記述です。

  吉野川の上流、上市のはずれには、川をはさんで妹山と背山が仲良くむかい合っています。

ここが、「妹背山婦女庭訓」山の段で、悲恋の舞台となるところ。こじんまりとした妹山には大名持神社(祭神・大名持御魂神つまり大国主命)があり、山全体が神体山として禁足地であるため、珍しい植物が群生し、天然記念物に指定されています。
 (国立劇場 第25回=六月歌舞伎公演プログラム、41頁)
 


行ってみます。近鉄吉野線「大和上市」駅で下車します。



国道169号線に沿って吉野川が流れています。



左に見える山が「妹山樹そう」、対岸に脊山があります。




『古今和歌集』に読人しらずの和歌があります。

  流れてはいもせのやまのなかにおつる吉野の河のよしや世中 

この前に大名持神社(おおなもちじんじゃ)があります(所在地は吉野町河原屋86)。





 拝殿

ここから吉野山はすぐです。


 

(3)

『妹背山婦女庭訓』の初演は明和8(1771)年大坂・竹本座。


国立劇場での初演は、昭和49(1974)年 4月(第65回歌舞伎公演)。

配役は、大判事清澄・8代目松本幸四郎、久我之助・8代目中村福助(現4代目中村梅玉)、太宰後室定高・6代目中村歌右衛門、娘雛鳥・5代目中村松江(現2代目中村魁春)


平成8(1996)年11月に再演(第200回歌舞伎公演)されました。

大判事清澄・9代目松本幸四郎(現2代目松本白鸚)、久我之助・5代目中村時蔵、太宰後室定高・3代目中村鴈治郎(現4代目坂田藤十郎)、娘雛鳥・7代目中村芝雀(現5代目中村雀右衛門。

どちらも通し狂言としての上演でした。

歌舞伎座では、昔単独で上演されたのを観ましたが、最近では、平成29(2017)年月、の舞台にかかりました。

大判事清澄・中村吉右衛門、久我之助・、太宰後室定高・坂東玉三郎、娘雛鳥・中村雀右衛門という配役でした。


 「妹背山 吉野川館の場」 国立劇場49年4月(『歌舞伎定式舞台集』より)
   


お読みいただきありがとうございました。

 「歌舞伎の舞台名所を歩く」 HOMEはこちらをどうぞ。 
(2019(平成31)年4月)
 
inserted by FC2 system