歌舞伎の舞台名所を歩く

 湯島天神
 『河内山と直侍』ほか
 
 
 (1)
 
河竹黙阿弥の名作『天衣紛上野初花』(くもにまごううえののはつはな)、通称『河内山と直侍』の序幕は「湯島天神境内の場」です。娘のことを心配する母親に下女は、

   ただこの上は神さまの御利益願うほかはないと、お袋さまをお勧め申し、
   七日のあいだこの湯島の天神さまへお百度を上げて願うておりますが、
   それさえ今日は七日の満願。
   (古井戸秀夫・今岡謙太郎編著『歌舞伎オン・ステージ 11 天衣紛上野初花』
   (白水社、1997年)20頁)

   脚注に「百度参りは、七日で一区切りとなり、これを満願という。
   一区切りで願いが叶わない場合、また七日、更に七日と願をかける場合もある」
   とあります。

次が河内山宗俊が娘を取り戻すのと引き換えに、百両もらう約束をする「上州屋質見世の場」、そして三幕目の最後が、河内山が「悪に強きは善にもと」という胸のすくような啖呵をきる「松江邸玄関の場」と続きますが、この場については「練塀町」をご覧ください。
 
黙阿弥はまた『盲長屋梅加賀鳶』(めくらながやうめがかがとび )の序幕でもここを場とします。「湯島天神茶店の場」、梅吉の女房おすがは、遠出をした帰りに、

   柳嶋へお参りに行って、帰りがけに浅草で鳩に豆をやったので、大きに遅く
   なったけれど、湯島を素通りをしては済まないから、天神さまへおまいりながら、
   これを休めに寄りました。
   (『名作歌舞伎全集』第12巻、142頁)
 
そして返し、「御茶ノ水土手際の場」へ続きますが、この場で太次は、

   明るい内に明神下の定宿まで着くつもりで、おごりの沙汰だが一帳場、
   駕籠に乗って急いだが、春とはいえどまだ正月、日の短いので遅くなった、
   あゝこの位なら水戸様前から、安い駕籠に乗ればよかった。
   (ト舞台に来り)寒明の寒さが強いので疝気で腰が釣れてたまらぬ。
   (同上、153頁)
 
と痛んでいるところへ道玄が登場し、殺しへとつながります。「明神下」は今もその地名を残しますが、梅吉が住んでいたのも湯島天神の町内でした。


湯島天神は『江戸名所図会』にも勿論とりあげられていますが、江戸時代から絵本や浮世絵の画題となってきました。菱川師宣の挿絵(出典不明)をご覧ください。




歌川広重「江都名所 湯しま天満宮」 天保年間(1830-44) 大判錦絵
(「粋と艶、旅のあこがれ」展(四日市市立博物館、平成12年4月)図録67頁より)


(2)

湯島天神へは地下鉄千代田線「湯島」駅から5分もかかりません。



天神下の交差点からゆるやかな切通坂を上ります。天神夫婦坂の階段がありますが、



ここからは入らずに進むと、大鳥居が見えます。



ここを通って行くと、もう一つ鳥居があります。



鳥居の左にはご由緒、



くぐると、



とあり、詳しく説明されています。

この鳥居は銅製で重要文化財の「銅鳥居」、扁額の文字は「天満宮」。



境内案内図を見ておきます。



鳥居をくぐって短い参道の突き当りが本殿で、



多くの参拝者が手を合わせています。新年には大勢の受験生でいっぱいです。



本殿の左へ行きますと、本殿と社務所・参集殿が渡り廊下でつながっていて、



白梅と紅梅の紋があるきれいな提灯が吊るされています。



渡り廊下をくぐって反対側に行ってみます。



ここを再び通り抜けて、社務所・参集殿から本殿の方を見ます。



学問の神様にお願いの絵馬が鈴なりになっています。



絵馬は他の場所にも見られます。



「努力」の文字の石碑もあり、



露店では「合格だるま」も売っています。天神様にお祈りして、努力が叶って達磨に両目を入れる受験生も数多いことでしょう。




境内には芸能関係等の石碑もいくつも見られます。

湯島天神といえば「婦系図(おんなけいず)」が有名ですが、新派の石碑があります。





この隣には、「瓦斯燈」の説明板があり、『婦系図』が引用されています。



また平成13(2001)年4月、国立劇場の新派の『婦系図』公演記念の献木もあります。この時、この新派の名作を演じたのは、市川團十郎(早瀬主税)と波野久里子(お蔦)でした。

国立劇場では昭和48(1973)年10月にも上演され、その時のプログラムに戸板康二が「「婦系図」の記憶」と題した一文を寄せていますが、一読の価値があります(『見た芝居・読んだ本』(文春文庫, 1988)所収)。興味のある方はどうぞ。

泉鏡花(1873(明治6)年)- 1939(昭和14)年)の筆塚がここにあるのは、『婦系図』『滝の白糸』などの戯曲を新派に提供したことによるものでしょうか。



講談や都々逸の碑もあります。




また「奇縁氷人石」は別れ別れになった二人がめぐりあえるという霊験あらたかな石とのことで、両脇には「たつぬるかた」と「をしふるかた」と刻まれています。




湯島天神はまたいくつかの年中行事でも有名ですが、天神さまと言えばやはり梅は欠かせません。





鷽かえ神事でも有名です。説明書からいわれがわかります。







 
(3)
 
湯島天神の例大祭「天神祭」は5月、「本社神輿渡御」は4年ごとに行われます。



2018(平成30)年はその年に当たり、5月27日の日曜日がその日でした。午前7:30に御発社祭、8:00に宮出、8:15に大鳥居着、そこから各町内を回って、夕方5:40に実盛坂上、6:00に宮入、6:30に御帰社祭という日程でした。

晴天に恵まれたこの日、最初から春日局の墓所のある麟祥禅院まで追ってみます。

この日湯島天神はお祭り一色です。



神輿の渡御の順路で、20以上の町会に順に引き継がれます。



いよいよ出発で、御神輿が大鳥居のところへやってきます。



お囃子は一台の車で奏でます。



神輿が威勢のいい掛け声とともに新緑の中、上下左右に揺れながらゆっくり進みます。





通りの右に入ると麟祥禅院で、門の前をぐるりと回り、日本サッカーミュージアムの近くで、次の町会へバトンタッチします。



お神輿が行った後で、麟祥禅院に寄ってみます。



ここは初めてです。




湯島天神に引き返す途中、神輿をかつぎ終えた町内の人たちが、軽く打上げでもしたのでしょうか、食堂から続々と出てくるところに行き合わせます。ハッピ姿、なかなか良いものです。

天神様の鳥居の内外では、色々な露店が開店準備に追われています。

本殿の右手前の神楽殿では奉納の能が演じられていますが、ちょっと見ただけで終わってしまいます。演目も分かりませんが、何か例大祭に相応しいものなのでしょう。



全町会の祭礼の手拭が展示されています。さまざまな柄でどれも特色があり、楽しませてくれます。



祭りの図柄は、今見てきたばかりなので、生き生きとしてまるで動き出さんばかりに見えます。




湯島天神-歌舞伎の舞台では、さまざまな人物を登場させる序幕としてしか出てきませんが、願い事を叶えてくれる神様として、昔から庶民に最も親しまれ、年中参拝者が絶えない神社のひとつでしょう。
                   
 
 
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(2018(平成30)年6月3日)
 
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