歌舞伎の登場人物を歩く

  随心院
小野小町所縁のお寺


小野小町は『六歌仙容彩』『関の扉』に登場します。

先ずどんな人だったのか事典を引いてみます。

平安時代の女流歌人。生没年不詳。六歌仙、三十六歌仙の一人。

系図については諸説があるが、確かなことは不明。小町の名についても、宮中の局町に住んだことによるという説をはじめ諸説がある。

王朝女流歌人の先駆者で、文屋康秀、凡河内躬恒、在原業平、安倍清行、小野貞樹、僧正遍昭らと歌の贈答をし、和歌の宮廷文学としての復興に参加した。その歌は恋の歌が多く、情熱的で奔放な中にも、現実を回避した夢幻的な性格を持ち、哀調を帯びている。紀貫之が「あはれなるようにて強からず、いはばよき女の悩めるところあるに似たり」(『古今集』序)と評したのは、よくその特徴をとらえている。

小町の経歴は不明なことが多いが、美貌の歌人として広く知られ、業平と好一対をなす女性として、多くの説話が語られ、さまざまな伝説が生まれた。東国の荒野を旅する業平が、風の中に歌をよむ声を聞き、声の主を探して草むらにどくろを見いだす。実はそこは小町の終焉の地であったという説話が『古事談』などに見えている。

こうした伝説を集大成し、明確な文学的形象を与えたのは謡曲である。『草子洗小町』は、歌人としての名を傷つけられた小町が、大伴(友)黒主が書き入れをした草子を洗ってその奸計を暴露し、自分の名誉を守るとともに黒主に対しても寛仁に態度をとったという筋で小町をたたえたもの。

江戸時代には七小町が歌舞伎の題材、浮世絵の画題などにしばしばとりあげられた。
 (『日本架空伝承人名事典』(平凡社, 1986)より部分)

〔筆者注〕
 ①六歌仙は、小野小町、僧正遍昭、在原業平、文屋康秀、喜撰法師、大伴黒主
 ②七小町は『草子洗小町』下『通小町』『卒塔婆小町』『関寺小町』『鸚鵡小町』『雨乞小町』『清水小町』


所縁のお寺の一つに京都の随心院があります。



地下鉄東西線「小野」駅で下車、歩いて5分ほどで山門が見えます。












拝観



















 

















◆小町堂






◆名勝 小野梅園





◆文塚










◆化粧井戸









ご覧いただきありがとうございました。

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(2019年3月24日撮影)
 
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