歌舞伎の舞台名所を歩く

  赤羽橋

村井長庵
   
 (1)
   
河竹黙阿弥作『勧善懲悪覗機関(かんぜんちょうあく のぞきからくり)』、通称「村井長庵」の序幕は「赤羽橋重兵衛殺しの場」です。
百姓重兵衛は娘を吉原へ売ったお金42両を持って、赤羽橋に通りかかります。
悪医者村井長庵は重兵衛に切りつけ、「懐中を探り胴巻を引出し、探り見てにったり思入れ」して独白します。黙阿弥得意の七五調の台詞が聞かせます。
ちょうど時刻も寅の刻、千里一飛(ひととび)闇雲に後をつけたる暗まぎれ、篠突く雨に往来のないを幸いばっさりと夜網にあらぬ殺生も、わずか五十に足らねえ金、人の命も五十年、長い浮世を長袖の小袖ぐるみで交際(つきあい)も、丸い頭を看板に医者というのが身の一徳、しかも十徳を着る長棒にしょせん出世の出来ねえのは、言わずと知れた藪育ち、蚊よりもひどく人の血を吸い取る悪事の配剤は数年(すねん)慣れたるわが匙先、…。
(名作歌舞伎全集、第10巻、219頁)
   
 
  歌川芳幾「英名二十六衆句 邑井長庵」慶応3(1867)年 大判錦絵
(渡邊晃著『江戸の悪 浮世絵に描かれた悪人たち』青幻舎, 2016)
   
   
 (2)
   
赤羽橋は、港区の桜田通りが新堀川を渡るところに架かる橋です。



最寄り駅は地下鉄「赤羽橋」駅ですが、芝公園から歩きます。徒歩約10分で「赤羽橋」の標識が見えます。
   
向こう側に渡ると、左が「赤羽橋」です。 
橋を渡ると右に、少し離れて欄干が保存されています。振り向くと東京タワーが見えます。
なかなか立派な石造の欄干です。
戸板康二の名著『芝居名所一幕見 舞台の上の東京』(白水社, 1954年刊)に、当時の橋の写真が載っています。
   
『江戸名所図会』には「この辺茶店多く、河原の北には、毎朝肴市立ちて繁昌の地なり」とあり、広重がこの橋を描いています。
広重「東都名所 芝赤羽根之雪之図」 (幕末の天保年間と推定される一枚)
   
(3)
 
『勧善懲悪覗機関』の初演は文久2(1862)年8月、森田座。  
 
この芝居は滅多に上演されませんが、昭和54(1979)年 8月に国立劇場の舞台にかかりました。七幕九場の通しで、序幕の第二幕が「赤羽根橋重兵衛殺しの場」、二幕目が「赤羽根橋辻番詮議の場」、村井長庵は中村吉右衛門が演じて好評でした。 

序幕第三場は「平河天神裏門前の場」、こちらをご覧ください。

この公演のポスターです。
(『歌舞伎ポスター集-国立劇場開場25周年記念-』(日本芸術文化振興会, 1991年刊)より)
   
   
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  (2018(平成30)年3月23日)
   
   
 
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