歌舞伎の舞台名所を歩く |
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『盲長屋梅加賀鳶』 | |
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河竹黙阿弥作『盲長屋梅加賀鳶』(めくらながや うめがかがとび)、通称「加賀鳶」の大詰は「加州候表門の場」です。 |
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本舞台一面の平舞台、向う奥深に、加州候の表門より御守殿門を見たる夜の遠見、(中略)、内より樹木を見せ、すべて本郷屋敷前の体。五ッの拍子木門附(かどづけ)の合方にて道具留まる。 ト花道より道玄尻端折り、頬冠りにて出て来り、後を見返り思入れあって、 道玄 お兼の奴アどうしたか、あいつがどじを組んだ日にゃあ上州路へも行かれぬから、又行く先を変えにゃあならねえ。まあ何にしろ道を変え下町の方へふけるとしよう。 ト舞台に来る、後より以前の手先の一人窺い出て後ろより、 手先 御用だ。 ト組みつく、これにて道玄びっくりして、突き退け逃げかゝる。手先大勢出て取り巻く、道玄匕首を抜き持ち、身構えする、これより按摩笛門附の合方になり、道玄手先六人を相手によろしく立ち廻り、トド皆々折り重なって、道玄を押さえつけ、縄を掛け引き起こす。 道玄 喰いこんだか。(ト起き上がるを木の頭) 皆々 神妙にしろ。 ト道玄是非がないという思入れ、右の鳴物にてよろしく ひょうし幕 (『名作歌舞伎全集』第12巻、242-43頁) |
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この場の捕り物はだんまりで演じられ、滑稽な動きが笑いをさそいます。道玄と思って捕まえられた取り手の一人が「俺だ、俺だ」と言うのを聞いて、道玄も同じように「俺だ、俺だ」といって逃げたり、這いつくばった道玄が後ろから取り手の急所を掴んだりと、いくつかある世話だんまりでも、喜劇的な、楽しい一幕です。 |
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「加州候表門」とあるのは、今の赤門のことです。 東京メトロ丸ノ内線「本郷三丁目」駅で下車、本郷通りに出ると、すぐ左に「本郷もかねやすまでは江戸の内」といわれた老舗があります。 交差点を渡ってこの通りを3分ほど行くと、右手に「赤門前」の信号が見えます。 通りを渡ります。門の左右にはゆったりとしたスペースがあり、ナマコ塀もあり、右に説明板があるのが目に入ります。 たくさんの人が赤門の前で写真を撮っています。日曜日で門は閉まっていますが、通用門は開いていてひっきりなしに入る人、出て来る人が後を絶ちません。自転車を押している人もいます。家族連れや明らかに観光客もいる所を見ると、誰でも入れるようです。公園のように。 正面から見ます。歌舞伎の大道具もほぼこの通りなのでしょう。 左の方からも見て、 通用門をくぐると、構内の新緑が目に飛び込んできます。 こちらからもカメラにおさめます。 このような立派な門が出るのは他には『仮名手本忠臣蔵』の城明け渡しの場だけでしょうか。 |
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『盲長屋梅加賀鳶』の初演は明治19(1886)年、千歳座。 赤門前の場の捕物は『東海道四谷怪談』の「隠亡堀の場」や『神明恵和合取組』(め組の喧嘩)の「八ツ山下の場」とならぶ、世話だんまりの傑作のひとつに数えられています。 時代だんまりと違って、世話だんまりは単独ではなく、一幕の中で演じられます。従って、この場も通しか半通しの最後の場として舞台にかかります。 この芝居を初めて観たのは昭和50(1975)年1月、国立劇場の舞台で、道玄を演じたのは2代目尾上松綠。この役は松綠の当たり役の一つで、その後歌舞伎座でも何度か観る幸運に恵まれました。凄みと滑稽味――凄い役者でした。 ちなみにこの前の場「菊坂道玄借家の場」で取り手に踏み込まれた道玄、逃げてくるのがここ赤門の前ですが、道玄が住んでいたのは今も名を残す菊坂で、ここからすぐ近くです。 |
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(2019(平成31)年4月28日撮影) | |