歌舞伎の舞台名所を歩く

  永代橋
『髪結新三』


 (1)

河竹黙阿弥作『『梅雨小袖昔八丈(つゆこそでむかしはちじょう)』は通称「髪結新三」、「永代橋の場」は名場面です。

髪結の新三は、手代の忠七とわりなき仲になっている白木屋の娘のお熊に、縁談話が持ち上がっているのを知って、連れて逃げておやりなさい、と忠七をそそのかします。お熊を駕籠で先に新三の内へやり、忠七を連れて永代橋にさしかかると、新三は本性を現します。

新三 これよく聞けよ、不断は得意場(ちょうば)を廻りの髪結、いわば得意のことだからうぬがような間抜けな奴にも忠七さんとか番頭さんと上手をつかって出入りをするも、一銭職と昔から下がった稼業の世渡りに、にこにこ笑った大黒の口をつぼめた傘(からかさ)も列(なら)んでさして来たからは、相合傘の五分と五分、轆轤(ろくろ)のような首をしてお熊が待っていようと思い、雨の由縁でしっぽりと濡れる心で帰るのを、そっちが娘が振りつけられ弾(はじ)きにされた悔しんぼに、柄にねえ所へ柄をすげて油ッ紙へ火がつくようにべらべら御託ぬかしゃアがりゃア、こっちも男の意地づくに破れかぶれとなるまでも、覚えはねえと白張りのしらをきったる番傘で、筋骨抜くから覚悟しろ。
 (『名作歌舞伎全集』第11巻、213-14頁)

だまされたと知った忠七ですが、時すでに遅し、新三に番傘で散々打ちすえられます。波の音佃になり、新三は永代橋を渡って行ってしまうのでした。


(2)

永代橋、地名辞典を引いてみます。

  中央区と江東区の間の隅田川に架かる江戸四橋の一つ。元禄9年(1686)にはじめてかかった。それ以前は、ここに大渡しという渡船場があった。文化4年(1807)8月19日、深川八幡の祭りの一番山車が(中略)、祭りを見ようとやってきた群集が橋の上でぶつかり合ったとき、重さに絶えかねて橋が落ちた。このときの溺死者は奉行所の調べでは440人、、実際は1,500人を超えた、という。
 (『江戸芸能落語地名辞典』上、62頁)

所在地


場所がわかったところで行ってみます。地下鉄東西線「茅場町」駅で下車、
永代通りを東に行くと「永代橋西」の標識のある交差点に出ます。



「隅田川テラス」とありますので、一枚撮って、階段を下りてみます。



隅田川に架かるこの橋の全体が見えます。ベンチもあり、地図付きの案内板には、「隅田川と一体となって地域のランドマークとしての役割を果たすとともに、建設された時代の特色を表していることから、1999年に東京都選定歴史的建造物に選定され指定されました」とあります。

また「上流の清州橋の女性的な優美さに相対し、男性的な重量感を持っています」ともありますが、成程その通りと感じます。



通りに戻って、反対側に行ってみます。



今度は橋を渡って、東側から見た永代橋です。




力強い優美な曲線を描く永代橋 - 歌舞伎ファンならだれでも独特の響きを感じ、髪結新三を思い浮かべることでしょう。

 
(3)

『髪結新三』の初演は明治6(1873)年6月、東京・中村座。

昭和46(1971)年6月、国立劇場では3幕6場の通し狂言として上演されました(第42回歌舞伎公演)。

序幕の第1場が「白子屋見世先の場」で、新三が忠七をそそのかします。

  次はご参考までに。


月岡芳年「新選東錦絵 白木屋於駒の話」(部分)明治19(1886)年

 「通称「髪結新三」で知られる『梅雨小袖昔八丈』もお駒才三物の書替(よく知られている狂言を大幅にアレンジする手法)で、ここでのお駒は新三に監禁される被害者である。図は同狂言を題材としたものか。」
 (渡邊晃『江戸の悪』府中市美術館編(青幻舎, 2016)176-77頁より)


序幕第2場が「永代橋川端の場」で、新三は2代目尾上松緑、忠七は7代目尾上梅幸という配役でした。

17代目中村勘三郎も当たり役の一つとして何度か演じました。二人ともとても良かったですね。


昭和63(1988)年4月には国立小劇場の舞台にかかりました(第148回歌舞伎公演)が、この時の新三は5代目中村勘九郎(後の18代目中村勘三郎)で、山川静夫がこんな逸話を紹介しています。
 
  名優中村勘三郎の一周忌に息子の勘九郎が親父の当り芸の「髪結新三」を演じた。

                      §

勘三郎が息をひきとった時も勘九郎は、やっぱり「髪結新三」を演じていた。その時、周囲の人人(ママ)は勘九郎が動揺するのではと危惧して、昼の部が終わるまで知らせないことにした。

新三と長屋の家主が対決するくだりで、又五郎の家主が新三をやりこめて、上からぐいと見すえるが、家主役の又五郎は、つい情がうつって眼に涙をいっぱいためてしまった。それを見て勘九郎は、

 〈あ、親父が死んだな〉

と気付いたそうだ。

 (戸板康二編 『日本の名随筆⑩ 芝居』 156頁)


平成23(2011)年11月、新橋演舞場では「7世尾上梅幸17回忌・2世尾上松緑23回忌追善」として尾上菊五郎が新三を演じました。菊五郎は2代目松緑の新三で、何度かお熊を演じました。


ごく最近では 平成30(2018)年3月、国立劇場で尾上菊之助が初役で新三を演じました。2年前の5月に歌舞伎座で初お目見えをした菊之助の長男・寺嶋和史も初登場し、可愛いさに客席から感嘆の声が漏れました。

新しい新三役者の誕生を喜び、次の舞台を楽しみにしたいと思います。



公演チラシより(部分)



  関連で、深川閻魔堂もご覧ください。



お読みいただきありがとうございました。

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(2018(平成30)年7月24日)
 
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