歌舞伎の舞台名所を歩く

  元興寺
『阿国御前化粧鏡』


 (1)

鶴屋南北作『阿国御前化粧鏡』(おくにごぜん けしょうのすがたみ)、五建目の最初が「元興寺の場」、次の「阿国御前御殿の場」に続いて再び「元興寺の場」に戻ります。

そして四幕目「元の御殿の場」(お国の御殿と見えたのは、…)、又平が登場します。

お国 ナニ、又平とは、元信ゆかりの下部よな。下ざまの身をもって、みづからが目通りへ、酒宴の興に同席とは、緩怠至極、ここ下がれ。

又平 イイヤ、この席下がりますまい。合点のゆかぬ後室さま、みまかりたまふと聞きつるに、生けるがごとき御有様、なにとももって心得ぬ。

元信 すりゃ、後室さまには、疾よりこの世を去り給ふか。

又平 疑はしくば又平が、所持なるところの尊像の、奇特をもって。

 ト、懐中より錦の袱紗に包みし厨子を出し、お国御前へさしつける。
 ドロドロになり、お国御前、苦しきこなし。その姿たちまち生なりの異形なる形となり、前なる琴もこのとたんに、大卒塔婆の括りたるになる。
 この時、下手より銀杏の前、窺い出て、

銀杏 ヤァ、後室さまのお姿は。

元信 この世を去りし死人の相好。

又平 さるにても館の結構、並みいる侍女も仔細ぞあらん。

 ト、尊像をさしかざす。大ドロドロにて、御殿一度にパラパラと変り、朽ちたる荒れ寺になり、縁側より茅薄生い茂る。このとたんに四人の侍女、一度に消えて、めいめい損れたるびんづる、仁王の頭、如意輪観音、青苔つきし五輪出る。

又平 さてこそ妖怪、ござんなれ。

お国 最前おくりし後室の、詠歌の短冊。

 ト、懐中より出す。位牌になる。元信驚き、

こりゃこれ、、短冊と思いの外、日増院殿夏山妙道大姉。さては世に亡き御戒名。

 ト、思ひ入れ。

お国 アゝラ無念や、残念や。恨みの念の去りやらず、再びこの土に帰り来て、詞交せし四郎次郎。ともに奈落へ誘引せん。

                   (中略)

  だんまり模様になり、
  
元興寺ともに、せり下る。
  屋根残り、ぶっ返る。
                     幕

 (『国立劇場 昭和50年9月第73回公演上演台本』 51-53頁)

   
(2)

元興寺の所在地です。




近鉄奈良駅から、猿沢の池を過ぎて右に曲がり、まっすぐに歩いて行くと20分ほどで着きます。









入口左にはさまざまな石造物があります。




その中に扇塚があります。

庭を掃除しておられる方に聞くと、毎年この前で舞を舞い供養するとのこと、勿論扇を手にして。

そして親切にもクリアファイルを持って来て写真を見せてくれながら、一年の行事や四季折々に咲く花、「石舞台」のことなどを話してくださいました。



(ちなみに京都・五条大橋のたもとにも扇塚があります。「五条大橋と扇塚」をご覧ください)

   


ナンキンハゼ


拝観券(500円)をもとめて門をくぐります。






 本堂 (手前にナンキンハゼが影を落としています)











時計回りに境内を回ってみます。



















 石舞台(本堂の右奥)


 遠くに見えるのは若草山





 北門









 ふたたび本堂


 東門




(3)

『阿国御前化粧鏡』の初演は文化6(1809)年6月、江戸・森田座


昭和50(1975)年 9月、国立劇場では11場の通し狂言として上演されました(第73回歌舞伎公演)。

主演の中村歌右衛門の演出による舞台で、もうよくは覚えていないのですが、プログラムを見ると、2代目中村鴈治郎・片岡我童(14代目片岡仁左衛門・歿後追贈)、市川小太夫・中村芝鶴・中村歌門・中村松若・嵐璃珏・加賀屋歌江といった役者が出ています。強烈な印象を残した名脇役がたくさんいました。


 国立劇場公演ポスター
 (『歌舞伎ポスター集-国立劇場開場25周年記念-』(日本芸術文化振興会, 1991年刊)より)
   


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(2018(平成30)年12月20日)
 
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