歌舞伎の舞台名所を歩く |
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『其小唄夢廓』 | |
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福森久助作『其小唄夢廓』(そのこうた ゆめもよしわら)、通称「権八」の「鈴ヶ森仕置場の場」。 舞台の指定は、 |
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本舞台、一面の竹矢来。ところどころ松の立木、背後に黒幕、上手清元連中の山台、駅鈴(えきろ)に波音を冠せて、幕あく。 |
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刑場へ向かう同心たちが引っ込んだ後に、清元の出で名曲を聞かせます。 |
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栄えゆく人ひと盛り、花ひと時、あすは白井が身の果ても、思案の外の罪科に。 曳かれ廓へ通い路の、派手な姿に引きかえて、今日は哀れにちりかゝる、浅黄桜と夕嵐、ひまゆく駒の道もはや、かゝる縄目に大木戸の、色ゆえにこぞ命さえ。 (『名作歌舞伎全集』第19巻、110頁) |
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この間に、花道から権八が馬の背に乗せられて引かれてきます。 |
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逢いたい見たさは飛び立つばかり、籠の鳥かや恨めしや。 |
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そして処刑される間際に、花道からバタバタと駆け寄ってきたのは胴抜き姿の小紫。 |
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小紫 オゝ、権八さん。 権八 ヤ、そちゃ小紫か。 小紫 まだ死なずに居て下さんしたか。 我を忘れて走りより。 (中略) 小紫 この世で一目逢いたさに、廓をぬけて来たわいナ。 権八 それ程までに権八を慕い、これまで来りしか。かたじけない、嬉しいぞや。(同上、113頁) |
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そして小紫は、役人のすきを見て権八の縄を切りますが、…。 |
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歌川国芳「東都流行三十六会席 大音寺前 白井権八」 |
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江戸の料亭にちなんだ役者絵のシリーズの一つで、この図は「大音寺前」。大音寺は吉原の近くにあって、亡くなった遊女の投げ込み寺ともなった寺である。門前は大音寺前と呼ばれ、田川屋という有名な料亭があった。白井権八が登場する「霊験曾我籬(れいげんそがのまがき)」という演目に大音寺前が出てくることから、この取り合わせになったのかもしれない。 (『歌川国芳 絵画力』府中市美術館編(講談社, 2017)37頁より) |
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この芝居の権八と小紫の比翼塚があります。 東急目蒲線「不動前」駅で下車、かむろ坂通りを歩いて15分程で、目黒不動の山門が見えてきます。 この左手前にあります。 |
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文化13(1816)年、江戸・中村座で初演された「比翼蝶春曾我我菊」(ひよくのちょう はるのそがぎく)の二番目が『其小唄夢廓』として残りました。 配役は白井権八が7代目市川團十郎、小紫が3代目尾上菊五郎。 この舞台を初めて観たのは、昭和44(1969)年11月の歌舞伎座、10代目市川海老蔵襲名披露の時で、強い印象を受けました。権八は14代目守田勘弥、小紫は7代目中村芝翫でした。 守田勘弥の権八(歌舞伎座プログラムより) 昭和56(1981)年2月、歌舞伎座では、白井権八が市川海老蔵(後に12代目市川團十郎)、三浦屋抱小紫に尾上菊五郎。初演と同じ団菊によって演じられたこの舞台も忘れられません。 團十郎は平成14(2002)年には「4代目尾上松緑襲名披露六月大歌舞伎」で、坂東玉三郎を相手に権八を演じています。 国立劇場では、平成2(1990)年12月に上演されました(第163回歌舞伎公演)。白井権八は中村福助(現・中村梅玉)、三浦屋小紫は中村児太郎(現・中村福助)でした。 |
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(2018(平成30)年10月30日) | |