歌舞伎の舞台名所を歩く

  堀部安兵衛の碑


(1)

真山青果作『元禄忠臣蔵』の「仙石屋敷」の一場面です。

仙石伯耆守は赤穂浪士たちに、事の次第を問いただします。その中に堀部安兵衛が関係することがあると、一人の浪士が紹介します。
 
小野寺 先年高田馬場に高名いたした、もと越後浪人、堀部安兵衛にござります。

仙石 おお聞き及んだ高名人、堀部安兵衛とはその方か。思わぬ仕儀(しぎ)にて、一生に二度の仇討ち、安兵衛さだめて満足に思うであろうのう。

安兵衛 (苦笑いして俯向(うつむ)き)いえ、仇讐(かたき)など打つような首尾に逢わず、安穏(あんのん)に一生を送りまする方が……手前などは勝手にござります。

仙石 なるほど、それもそうだ。(と、鈴木、水野らと顔を合わせて笑う)

 (『元禄忠臣蔵』(岩波文庫, 1982)下262頁) cf. p. 112

堀部安兵衛の仇討ちは講談や浪曲の口演でもよく知られています。
 
  …叔父が、高田の馬場に呼び出され卑怯な方法で斬殺される。これを知った安兵衛は、朱鞘の関の孫六を小脇に一目散に馬場に駆けつけ、縦横無尽の活躍のすえ、敵村上兄弟をはじめとして、名うての剣術師や槍術師らを次々と切り捨て、みごと叔父の敵討を果たす。これが有名な「高田馬場の仇討」の一席である。
 (『日本架空伝承人名事典』(平凡社, 1986)423頁)


(2)

仇討があった高田馬場です。




東京メトロ東西線「早稲田」駅を下車、早稲田通りをJR「高田馬場」駅の方へ歩きます。



すると右に行く角に説明板があります。



この通りを少し行くと水稲荷神社があり、階段を上った左に碑が建っています。







 
  
 

奥の神社へも行ってみます。社殿だけではありません。





 

 












長い参道にリアカーが。懐かしい!今ではまず見かけません。






(3)

もう一か所にもあります。




東京メトロ線「八丁堀」駅で下車、新大橋通りを茅場町の方へ少し行き、右に曲がると亀井橋があります。手前に説明板があり、安兵衛威の碑は反対側に見えます。






この近くに居住したことから、此処に建てられたとのこと。碑文はよく読めませんが、こんなことが記されているようです。大意を箇条書きにします。
  
  堀部安兵衛武庸(たけつね)之碑

越後新発田の生まれ江戸に出て、道場で剣道を修行。
元禄4年に高田の馬場に於て叔父仇を討つ。
浅野家の堀部家の妙と結婚して、中山から堀部性となる。
元禄15年12月14日赤穂義士の一人として仇討す。
元禄16年2月4日に切腹。34歳。法名「刀雲輝剣信士」 



お読みいただきありがとうございました。

 「忠臣蔵を歩く」もどうぞご覧ください。

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(2018(平成30)年12月14日)
 
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