歌舞伎の舞台名所を歩く

  忠臣蔵を歩く
『仮名手本忠臣蔵』『元禄忠臣蔵』


 (1) 『仮名手本忠臣蔵』と『元禄忠臣蔵』の索引(リンク)を兼ねる一覧

『仮名手本忠臣蔵』
大序
 「鶴ヶ岡八幡宮の場」

 ⇒ 鶴岡八幡宮
 

「忠臣蔵大序」 三世歌川豊国

 
 
二段目 「建長寺の場」 (または「桃井館の場」)

 ⇒ 建長寺


「忠臣蔵二段目」 三世歌川豊国


三段目 「足利門前進物の場」

「同 殿中松の間の場」
『元禄忠臣蔵』
 「江戸城の刃傷」  元禄14年3月14日四つ半時(今の午前11時頃)

 松の廊下跡

三段目「足利館裏門の場」

 
「忠臣蔵三段目」 三世歌川豊

四段目 「扇ヶ谷塩谷館切腹の場」 (元禄14(1701)年3月14日)

 ⇒ 浅野内匠頭終焉の地跡


「同 裏門の場」
 
   
「忠臣蔵四段目」 三世歌川豊国


赤穂へは急使が…





『元禄忠臣蔵』「第二の使者」 元禄14年3月19日払暁(ふつぎょう)

 ⇒ 赤穂城  


『元禄忠臣蔵』「最後の大評定」 
元禄14年3月下旬のある日

 ⇒ 大石内蔵助良雄の屋敷


 
道行 「戸塚山中の場」

 ⇒ お軽勘平戸塚山中道行の碑


五段目 「山崎街道鉄砲渡しの場」

「同 二つ玉の場」


 ⇒ 与市兵衛の墓


「忠臣蔵五段目」 三世歌川豊国


六段目 「与市兵衛内勘平腹切の場」


「忠臣蔵六段目」 三世歌川豊国


七段目 「祇園町一力の場」

 ⇒ 一力


「忠臣蔵七段目」 三世歌川豊国


『元禄忠臣蔵』「伏見撞木町」 元禄15年3月なかば頃


八段目
 
       浄瑠璃「道行旅路の嫁入」


「忠臣蔵八段目」 三世歌川豊国


九段目 「山科閑居の場」

 ⇒ 岩屋寺 大石良雄山科閑居址(京都・山科区)

 ⇒ 大石神社(同上)


「忠臣蔵九段目」 三世歌川豊国


十段目 「天川屋の場」

 ⇒ 義人社(京都市山科)
 
 ⇒ 天野屋利兵衛の碑(大阪市)

   (「泉岳寺」にも「天河屋利兵衛の碑」あり)

 
「忠臣蔵十段目」 三世歌川豊国


『元禄忠臣蔵』
「御浜御殿綱豊卿」
 元禄15年3月上巳(じょうし)節句のころ

 浜離宮(港区)

  
『元禄忠臣蔵』 「南部坂雪の別れ」 元禄15年12月13日の昼さがり

 ⇒ 南部坂(港区)


『松浦の太鼓』
「両国橋の場」

 ⇒ 両国橋(墨田区)


『元禄忠臣蔵』 「吉良屋敷裏門」 元禄15年壬午(みずのえうま)12月14日夜あけ前

十一段目
「高家表門討入の場」「同 奥庭泉水の場」「同 炭部屋本懐の場」 

 ⇒ 吉良邸跡(墨田区)

 
「忠臣蔵十一段目」 三世歌川豊国

 
 「忠臣蔵十二段目」 三世歌川豊国


12枚セットの絵葉書の封筒
  忠臣蔵を画題にした浮世絵は夥しい数にのぼりますが、以上は国立劇場20周年記念公演を3ヶ月通して観劇したあぜくら会員に贈られた三世歌川豊国の揃いの浮世絵の絵葉書


   
『元禄忠臣蔵』 「泉岳寺」  元禄15年12月15日、辰の上刻(じょうこく)ごろ、今の午前9時ごろ。

 ⇒ 泉岳寺

 
『元禄忠臣蔵』 「仙石屋敷」 

 ⇒ 仙石伯耆守邸跡 元禄15年12月15日の朝、六ツ半時(今の7時頃)
 

『元禄忠臣蔵』 「大石最後の一日」  元禄16年2月4日(1703年3月20日)の午後

 ●赤穂義士が切腹した場所

 ⇒ 旧細川邸のシイ・大石良雄ほか16人忠烈の跡 (細川越中守邸跡) 
     大石内蔵助・吉田忠左衛門以下16名

 ⇒ 水野監物邸跡

     間十次郎・奥田貞右衛門以下9名

 ⇒ 毛利甲斐守邸跡 (現・毛利庭園)
     岡島八十右衛門・吉田沢右衛門以下10名

 ⇒ 松平隠岐守邸跡 (現・イタリア大使館)
     大石主税・堀部安兵衛以下10名

     (真山青果作『元禄忠臣蔵』(岩波文庫, 1982)下巻 253-54頁参照)


ちなみに、赤穂浪士を預かった大名の中で、細川家と水野家では丁重に接しましたが、他の2家ではそうではなかったようで、こんな落首が伝わります。

    細川の水の流れは清けれど ただ大海の沖ぞ濁れる
  
「細川」と「水の」は明らかですが、「大海」は毛利家、「沖」は「隠岐」、つまり松平家を指します。  

   
(2) 忠臣蔵所縁の地

忠臣蔵および赤穂義士所縁の場所です。

●浅野家・赤穂浪士関係

 花岳寺(兵庫県赤穂市)

 大石良雄屋敷(兵庫県赤穂市) 

 浅野内匠頭江戸屋敷跡 (中央区築地) 

 浅野土佐守邸跡 (港区) ⇒ 南部坂

 堀部安兵衛の碑 (新宿区・中央区) 

 間新六供養塔 (中央区 築地本願寺内)

 瑞光院 (京都市山科区)浅野稲荷・朝野内匠頭墓・遺髪塔・小野寺十内招魂碑

 大石りく遺髪塚 (兵庫県豊岡市)

 鳳源寺(広島県三次市)浅野家の菩提寺

●吉良家関係

 功運寺 吉良墓所 (中野区)

 高家吉良家菩提寺 華蔵寺 (愛知県吉良町)


   
(3) 『仮名手本忠臣蔵』の上演 

『仮名手本忠臣蔵』の初演は寛延1(1748)年8月、大坂・ 竹本座。同年12月歌舞伎化されて大阪・角の芝居の舞台にかかり、翌年には江戸三座でも競演。以後度々上演されてきた屈指の名作。


文楽と歌舞伎の場割りを、実際の公演で比較してみます。 


   文楽の場割り (国立劇場あぜくら会会報「あぜくら」より)


歌舞伎の場割り(国立劇場での完全上演・「あぜくら」より)


通しでふつう上演される場(歌舞伎座2002年公演チラシより)


(3-1) 国立劇場の通し公演

◆国立劇場開場20周年記念公演 昭和61(1986)年10月~12月 


 国立劇場しおり
 




 以上、国立劇場公演チラシ(B5)

 







あぜくら会会報「あぜくら」送付の封筒

 
◆国立劇場開場50周年記念公演 平成29(2017)年10月~12月 

 


 以上、国立劇場公演チラシ(A4 × cm)




 
(3-2) 歌舞伎座を中心とした主な通し公演 
 
昭和47(1972)年3月 新橋演舞場 三月花形歌舞伎 
 

昭和55(1980)年3月 歌舞伎座
 

昭和57(1982)年9月 歌舞伎座 中村歌右衛門・中村勘三郎監修 
 
 

昭和58(1983)年12月 歌舞伎座 河竹登志夫監修
 


昭和61(1986)年2月 歌舞伎座 
   

昭和63(1988)年月 歌舞伎座 歌舞伎座百年 
 

平成1(1989)年11月 歌舞伎座 
   

平成3(1991)年2月 歌舞伎座 中村雀右衛門・市川團十郎・坂東玉三郎参加  
 

平成7(1995)年2月 歌舞伎座 松竹百年 
 

平成10(1998)年3月 歌舞伎座 上演250年記念
   

平成13(2001)年3月 歌舞伎座 忠臣蔵300年 市川團十郎参加
  7世尾上梅幸7回忌・2世尾上松緑13回忌追善  
 

平成14(2002)年10月 歌舞伎座 赤穂義士討入300年 
   

平成14(2002)年 11月 国立劇場 「中村鴈次郎(現・坂田藤十郎)七役相勤め申し候」

 
 
(B5判)

(A4判 この頃からチラシのサイズが大きくなった)

平成21(2009)年11月 歌舞伎座 歌舞伎座さよなら公演  
 

 

  
  
歌舞伎座 絵看板


 
 (3-3) 『元禄忠臣蔵』の上演

 『元禄忠臣蔵』の連作は雑誌に発表されました。発表誌と初演を一覧にします。

 『江戸城の刃傷』――『キング』 昭和10(1935)年1月号、同年1月東京劇場
 『第二の使者』――『キング』 昭和10(1935)年3月号、同年1月東京劇演
 『最後の大評定』――『キング』 昭和10(1935)年2・5月号、同年4月東京劇場
 『伏見撞木町』――『キング』 昭和14年(1939)年9月号、同年4月歌舞伎座
 『御浜御殿綱豊卿』 ――『キング』 昭和15(1940)年春の特別号、同年1月東京劇場
 『南部坂雪の別れ』―― 『キング』 昭和13(1938)年12月号、同年11月歌舞伎座
 『吉良屋敷裏門』 ――『キング』 昭和13(1938)年7月号、同年4月明治座
 『泉岳寺』――『キング』 昭和16(1941)12月・翌1月号、同年11月東京劇場(外題は『泉岳寺の一日』)
 『仙石屋敷』――『キング』 昭和14(1939)年1・2月号、昭和13年4月明治座
 『大石最後の一日』――『日の出』 昭和9(1934)年3・4月号、同年2月歌舞伎座

   『キング』は講談社、『日の出』は新潮社発行。


国立劇場での初演は昭和54(1974)年11月(第29回歌舞伎公演)、以後何度か上演されていますが、特筆すべきは平成18(2006)年には10月から3か月かけての国立劇場開場40年記念公演(第250-252回歌舞伎公演)で、『元禄忠臣蔵』の全篇が上演されました。


昭和54(1979)年公演 会報「あぜくら」裏表紙

歌舞伎座では半通しで上演されて来ました。
 
 
昭和62(1987)年4月公演ちらし



お読みいただきありがとうございました。

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(2018(平成30)年12月14日)
 
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