歌舞伎の舞台名所を歩く |
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『仮名手本忠臣蔵』 | |
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『仮名手本忠臣蔵』四段目は「扇ヶ谷(おうぎがやつ)判官切腹の場」です。 |
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心静かに肩衣とり退け、座をくつろげ、 ト判官、肩衣を退け、両肌を脱ぎ、切腹の用意を整えて、 判官 力弥力弥。 力弥 ハッ。 判官 由良之助は。 ト力弥、向うをうかがい見て、 判官 いまだ参上つかまりませぬ。 ト判官、心残りの思入れあって、 三方ひき寄せ九寸五分押し頂き、 判官 力弥力弥。 力弥 ハッ。 判官 由良之助は。 力弥 ハッ。 ト花道の附際まで行き、向うをうかがい見て、 いまだ参上(ト言いつゝ元の座へ座り)つかまつりませぬ。 ト平伏する。判官、残念なる思入れあって、 判官 存生に対面せで、残念なと申せ。 ト検使の方に向かい、 御険使、お届け下され。 (『名作歌舞伎全集』第2巻、46頁) |
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そして、…。 |
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歌舞伎では鎌倉に設定されていますが、実際は勿論江戸の話。 真山青果作『元禄忠臣蔵』の「江戸城の刃傷」の「その三」に次のようにあります。 |
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田村右京太夫の屋敷は芝の愛宕下にある。右京太夫建顕(たてあき)は陸奥一ノ関の城主にして三万石。この時建顕は46歳。その家の紋は巻竜、車前草(おばこ)等。 浅野長矩が田村家の御預け人となり、田村家家来に護送せられて同屋敷に到着したのは、その日の申(さる)の刻、今にていえば午後の五時近くであった。 (『元禄忠臣蔵』 (岩波文庫, 1982) 上巻 37頁) |
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幕府の上使が「今の午後六時少し前に」到着し、やがて「庭上の切腹場」へ内匠頭は案内されます。 上使多門(おかど)伝八郎は、 |
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伝九郎 用意のなるまで、おくつろぎなさるるが宜しかろう。(突然、庭前を眺めて)おお、好い月じゃ。見事な月じゃ。 長矩 ええ……? 伝九郎 それご覧なされ。明日は満月、見事な月ではござらぬか。 伝九郎、心ありげに頤(あご)にて廊下の暗黒(くらがり)を示す。長矩、何気なくその方を見て、片岡源五右衛門と視線を合わせる。 長矩 おお……。 片岡 おお……。 四つの目、相吸すわるる如く、凝然(ぎょうぜん)として動かず。検使らもその光景を見て、暗涙を催す。無言、沈黙。(同上、50頁) |
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内匠頭は料紙に辞世をしたため、それを受け取った伝八郎は声を出して読み上げます。 |
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終焉の地の石碑が建っています。 JR山手線か京浜東北線の「新橋」駅で下車、環二通りを行き、日比谷通りと交差するところを左に曲がると、 すぐに見えます。 |
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余談ですが…、 環二通りに、「切腹最中」と名のついた最中を売っているお菓子屋さんがあります。 |
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店のパンフレットには、 「当店は、「忠臣蔵」の起こりとなった田村右京太夫屋敷跡にあり、浅野内匠頭が3月14日お預け即日切腹された場所にあります。忠臣蔵にまつわる数々の語り草がこの菓子を通じて口の端に上がればという思いを込めた逸品です」 また、最中の包み紙には、「最中にたっぷりの餡をを込めて切腹させてみました」とあり、「お詫びの品」の第一位に選ばれたそうですが、ユーモアたっぷりの話ではありませんか。 受賞は「東京うまいもの大賞」などでの第一位もあり、3月14日は「切腹最中記念日」(!)に認定されているそうです。 他にも、歌川国芳の四十七士が一つ一つに描かれている「義士ようかん」、「忠臣蔵陣太鼓 どら焼」や「仮名手本忠臣蔵 味こよみ」など忠臣蔵にまつわるお菓子があります。歌舞伎ファンで甘党でもある人にとって、何と嬉しいお店でしょうか! 紙袋は大石の家紋! |
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『仮名手本忠臣蔵』の初演等、舞台については「忠臣蔵を歩く」をご覧ください。 「四段目」は「通さん場」といって、幕が開いた後では客席への出入りはできないことになっています。芝居とはいえ、判官切腹をそれだけ厳粛に受け止めているということでしょう。 切腹の前に、塩谷判官の奥方の顔世御前が夫の気持ちを慰めようと、花をたくさん取り寄せた「花献上」の場がありますが、滅多に上演されません。いつでしたか、一度観た記憶があるくらいです。 お読みいただきありがとうございました。 「歌舞伎の舞台名所を歩く」 HOMEはこちらをどうぞ。 |
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(2018(平成30)年12月14日) |
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