歌舞伎の舞台名所を歩く |
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『元禄忠臣蔵』 | |
(1) |
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真山青果の『元禄忠臣蔵』に『仙石屋敷』の一篇があります。 上の巻のト書きを写します。 |
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時は元禄十五年師走十五日の朝、六ツ半時(今の七時頃)。二、三日の大雪は、昨夜のうちにあがりて、夜は静かに明けはなれんとする頃。 舞台やや暫く空虚。折からの雪の晨(あした)朝日かげ華やかに射しかけ、勇ましき朝雀の声、そこここに起る。 (中略) 赤穂浪人吉田忠左衛門(六十一歳)、富盛助右衛門(三十三歳)の二人、正面の方より静かに入り来る。二人は昨夜の夜討に宿願を成就し、芝泉岳寺なる故主の墓前に報告のため引き揚ぐる途中、新橋の辺にて同志の一行にわかれ、復讐の始末を公儀に届け出でんとして、大目付仙石伯耆守御役宅に訴え来たったものである。 (『元禄忠臣蔵』(岩波文庫, 1982)下 220~24頁) |
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下の巻。時は「同日戌の下刻、いまの午後九時前後」。 御徒目付の一人が幕開きの台詞を言います。 |
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御申し付けにより、芝高輪泉岳寺に出張(でば)り、もと浅野内匠頭家来、大石内蔵助はじめ四十六人、ただ今お屋敷御玄関まで召し連れましてござります。 |
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仙石伯耆守に大石内蔵助に色々と問いただしますが、二人の対話は弁慶と富樫の山伏問答を思わせるような緊迫感があり、聞かせどころです。 やがら毛利家・水野家・松平家・細川家の家来が預かる赤穂浪士を迎えに来ます。 内蔵助と主税親子が引き取られるのは別々の屋敷、15歳の主税が「(涙に落ちんとせしを耐えて)父上、御免下され」と言ってたち去ります。 幕切れ、「玄関の間、正面の襖をサッと開き、仙石伯耆守」が立っています。 |
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仙石 さてさて内匠頭どのは、よき家来を大勢抱えられた。かかる主に、 内蔵助 ただ、恐れ入り奉ります。 仙石 (手を上げて)いざ――。 内蔵助 御免下さりましょう。 仙石らの目送のうちに、内蔵助悠然として門外に歩み去る。 ――(幕)―― |
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(2) |
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仙石伯耆守の屋敷があった場所は、現在の虎ノ門に当たります。 東京メトロ銀座線「虎ノ門」駅を降りて、桜田通りを右折して進むと、塩見坂の手前に日本消防会館があります。 入るとすぐ「義士洗石の井戸」のモニュメントが目に入ります。 |
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(2018(平成30)年12月14日) |
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