歌舞伎の舞台名所を歩く

  両国橋
『松浦の太鼓』


 (1)

勝諺蔵作『松浦の太鼓』(まつうらのたいこ)の序幕は「両国橋橋詰の場」、赤穂浪士の討ち入りの日、すす竹売りに身をやつした大高源吾(俳号は「子葉」)は俳諧の師宝井其角に出会います。其角は別れる時に、

年の瀬や水の流れと人の身は

との発句を源吾に向けると、源吾は
 
  あした待たるるその宝船
 
と付句を返します。その意味は…、次の場で明らかになります。

 

 文京区・榮松院(2016年12月) 

(2)

両国橋は、江戸時代の地名・武蔵国と下総国の両国を結ぶ橋の意味であることはよく知られています。



JR両国駅から歩いて5分ほどで着きます。

◆両国橋東






橋の説明が刻まれていますが、よく読めません。左は広重の「名所江戸百景」





少し手前に大高源吾の句碑が建っています。




さらに少し手前には「赤穂浪士休息の地」の案内板があります。吉良邸はこの近くにありました(吉良邸跡はこちらをご覧ください)。




◆百本杭





豊原国周「忍宵恋曲物」百本杭の場 明治廿二年春狂言 新富座

両国橋は多くの浮世絵に描かれていますが、次は北斎の絵本からです。
「すみだが誇る世界の絵師葛飾北斎が描いた風景をたどろう」とありますので、他の場所でもこの絵本の該当する頁を見てみたいものです。



反対側に向かう途中、橋上から遊覧船が行き交うのが見えます。




◆両国橋西

東京スカイツリーが、こちら側からこの方角に見えるとはと思いも寄りませんでした。





「隅田川テラス」という名の遊歩道が整備されていますので、階段を下りてみます。








橋の下を通って反対側に行ってみると、これは何でしょうか…、一瞬現代の百本杭か、などと思いました。



橋を背にすると、総武線の電車が橋梁を通って行くのが見えます。



柳橋の手前で隅田川テラスの階段を上って、再び橋の所へ来ました。



   
ちなみに2019年に「二日間だけの両国橋ワンダーランド」という展覧会が、回向院で開催されました。



【参照】回向院 鳥居清長碑
 
   
(3)

秀山十種の一つ『松浦の太鼓』を初めて見たのは、昭和47(1972)年12月、国立劇場でした(第54回歌舞伎公演)。

配役は宝井其角=3代目河原崎権十郎、大高源吾=10代目市川海老蔵(後の12代目市川團十郎)、松浦鎮信=17代目中村勘三郎。

また観たいなぁと思っていると、歌舞伎座でも上演され何度か観る機会に恵まれました。忠臣蔵外伝はいくつもありますが、この芝居が何といっても一番です。

松浦公は吉右衛門でも観ましたが、初代中村吉右衛門から17代目中村勘三郎、そして当代へと受け継がれ、芸の伝承とはこういうことか、と感じさせてくれます。
   


お読みいただきありがとうございました。

忠臣蔵に関する舞台と名所については「忠臣蔵を歩く」(索引)をご覧ください。

 「歌舞伎の舞台名所を歩くHOME
(2019年5月)
 
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