歌舞伎の舞台名所を歩く 『熊谷陣屋』 |
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並木宗輔作『一谷嫩軍記』(いちのたに ふたばぐんき)、「須磨浦陣門の場」「須磨浦組討の場」に続くのは「熊谷陣屋の場」、ト書きです。 |
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…寿永3年2月日 武蔵坊執筆」という札をたて、すべて生田の杜、熊谷陣屋の体。 (こゝに町人の仕出し三人、桜の木の前に立ちかゝり居る。時の太鼓にて幕あく) 行く空も、いつしか冴えん須磨の月。平家は屋島の波に漂い、源氏は花の盛りを見る、中に勝れて熊谷が、陣所は須磨に一構え。要害厳しき逆茂木の中に若木の花盛り、熊谷桜というぞかし。花折らせじとの制札を、読んで行く人読めぬ人、一つ所に立ち集まり、 ○ なんとみごとな桜、よう咲いたではないかいな。 △ いや、花よりもこの制札じゃ。弁慶が筆じゃげな。した一字も読めぬわえ。 □ オゝ、あれは義経がkの花を惜しみて、一枝(ひとえだ)を切らべ指一本切るべしとの法度書きじゃて。 ? そんなら、花のかわりい指をきるとは、首を切る下地か、オゝこわや。 ○ こうしているうちにも、虎の尾を踏む心地がするわえ。 △ 指でもきられぬそのうちに、 □ 少しも早く、 四人 行きましょう行きましょう。 (『歌舞伎オン・ステージ』(白水社, 1996)第4巻、42頁) |
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生田の森は生田神社の裏手に鎮座しています。 市営地下鉄「三宮」駅で下車して通りに出ると、近くに鳥居が見えます。 拝殿の後手に見えるのが生田の森、左へ回ります。 入口のすぐ近くに句碑が建っているのに気がつきます。 当時は広大な土地を占め、もっとうっそうとしていたのだろうな、などを思いながら中へ入り、 ゆっくりと見ながら進みます。 |
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『一谷嫩軍記』は、人形浄瑠璃として宝暦元(1751年)年に大坂・豊竹座で初演され、翌年に歌舞伎化され江戸・森田座で上演されました。 国立劇場での初演は昭和47(1972)年4月(第49回歌舞伎公演)、その後も何度か再演されていますが、開場45周年に当たる平成24(2012)年3月(第278回歌舞伎公演)には團十郎が熊谷を演じました。 この場についての文です。 |
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古典的な悲劇として、義太夫時代物の雄篇であり、主役熊谷は、『義経千本桜』の知盛・権太・忠信や『仮名手本忠臣蔵』の由良助などに比肩する座頭役者としての器を問う大役である。 ― 小池章太郎(『歌舞伎オン・ステージ』(白水社, 1996)第4巻、217頁) |
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まことに團十郎に相応しい役でありました。 公演チラシ 『熊谷陣屋』は歌舞伎座でもたびたび上演されている人気の一幕です。吉右衛門も度々演じて いますので、次回の公演を楽しみにしていたいと思います。 なおこの前の場、「須磨浦組討の場」はこちらをご覧ください。 |
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(2017年5月16日撮影) |
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