歌舞伎の舞台名所を歩く 生國魂神社 |
|
『曾根崎心中』 | |
(1) |
|
近松門左衛門作『曾根崎心中』(そねざき しんじゅう)の序幕は「生玉社境内」、舞台は、 |
|
舞台上手寄りに茶屋。床几二脚出してあり。駕籠一挺立ててあり。下のかたに花をつけたる藤棚。その下には蓮池。うしろ一面に玉垣。元禄16年4月6日の午後さがり。 |
|
と指定されています。 幕があくと、北の新地の遊女お初(19)の手を引いて、田舎の客が奥から出てきます。何人かとのやりとりがあった後、徳兵衛が花道より登場し、お初と会って…、 |
|
徳兵衛 … 己の旦那は、主ながら現在の伯父甥、おれも奉公に是程も油断せず、この正直を見て取って、内儀の姪に二貫目つけて女夫(めおと)にしょうという談合、去年からのことなれど、そなたという人もちて、何の心が移ろうぞ。取りあいもせぬそのうちに、あろう事か、きいてたも、在所の母は継母(ままはは)なるが、おれに隠して親方と談合きわめ、二貫目のかねを握って帰られしを、此のうっそりが夢にも知らず、あとの月からもやくり出し、押して祝言さしょうとある。そこで己もむっとして、やァ聞えぬ旦那様、私も合点致さぬに、母をたらしてたきつけ、それはあまりななされよう、内儀様も聞こえませぬ。いやでござる。 お初 待って下さんせ、こなさん、ほんまにそう言わしゃんしたかいな。 徳兵衛 言うたとも言うたとも。 お初 もう一度聞かせて下さんせ。 徳兵衛 やァらきこえぬ旦那殿、私も合点いたさぬに、母をたらして、そりゃあんまりななされよう、いやでござる。 お初 徳さま、うれしいわいな。ああ、胸のつかえが、ずんと下りたわいな。―― それから、どうしゃしゃんしたぞいな。 徳兵衛 それ聞いて旦那殿は立腹、おのれがそういうも知っている、蜆川の天満屋の初とやらと腐り合い、 お初 えっ。 徳兵衛 旦那殿は、そなたのことを皆知っている。初と腐り合うたばっかりに、嬶めが姪を嫌うよな。この上はお初はおのれが分別次第、娘はやらぬ上からは、右二貫目のかねを4月7日までにきっとたて、今までの商いの勘定せよ。まくり出して大阪の地は踏まさぬ、と怒らるる。 (『名作歌舞伎全集』第1巻、270-71頁) |
|
そして、後で現れた九平次に、貸した二貫目の返金を求めると、白を切られるばかりでなく、逆に証文は偽物だと言いがかりをつけられ、徳兵衛は散々にはずかしめられてしまうのでした。 ちなみに、『夏祭』の序幕で 、団七を争うところ、お梶にとめられた徳兵衛が言う台詞に、 |
|
徳兵衛 コレお内儀、この辻札の絵を見さしゃれ。曾根崎心中の徳兵衛が、生玉で叩かれて恥面掻いて居るところ。その徳兵衛が看板で、この徳兵衛が出入りを留め、こう打ち解け合うたは、明神の引き合わせ。アアかたじけないかたじけない。 (『名作歌舞伎全集』第7巻、25頁) |
|
と言及されています。 |
|
※ |
|
同じく近松の作に、『生玉心中』(初演、正徳5(1715)大阪・竹本座)があります。この芝居は、 |
|
お初徳兵衛の13年忌を当て込んだ作品で、全体に《曾根崎心中》を踏まえた構想がとられているが、新しく嘉平次の父や姉、許嫁などの情愛が強調されており、主人公たちの悲劇が一層複雑で深刻なものとなっている。 (服部幸雄他・編『歌舞伎事典』) |
|
そして最後に、絶望した嘉平次はおさがと、この生玉神社でこの世を去るのでした。 |
|
(2) |
|
生國魂神社の所在地は大阪市天王寺区生玉町、地下鉄谷町線・千日前線の「谷町九丁目」駅より歩いて5分もかからずに着きます。 参道を進むと、 説明板が連続して木に立てかけられています、毛筆なので味があります。 ここにかかれている米澤彦八(? - 1714)、 井原西鶴(1642-1693)、 そして織田作之助(1913-1947)の像は後で境内で見ます。当時の先端のファッションなのでしょうか、なかなか恰好いいですね。 第二鳥居から、今通ってきた参道を振り返ります。 拝殿で手を合わせ、 右の奥へ行くと、いくつもの境内社が建っています。 右の一番奥にあるのが、浄瑠璃神社で、 その名の通り、近松門左衛門(1653-1725)や文楽関係者が祀られていて、色々な芸能の分野で上達を目指す人たちが参拝していることでしょう。 大きな絵馬に描かれているのは『曾根崎心中』のお初徳兵衛でしょうか。 手を合わせて、境内をゆっくりと回り、北門から出ます。 坂を下って行くと、交差点のところに来ますが、ここにも鳥居が建っています。 |
|
『曾根崎心中』の大詰「曾根崎の森」の場、及び舞台については「お初天神」(露天神社)をご覧ください。 お読みいただきありがとうございました。 「歌舞伎の舞台名所を歩く」 HOMEはこちらをどうぞ。 |
|
(2018(平成30)年8月2日) | |