歌舞伎の舞台名所を歩く

  お初天神
『曾根崎心中』


 (1)

近松門左衛門作『曾根崎心中』、大詰「曾根崎の森」の場はお初徳兵衛の道行、名文です。

(時々、薄い稲妻。鐘の音)

 此の世の名残り夜も名残り、死ににゆく身をたとふれば、仇しが原の道の霜、一足づつに消えてゆく、夢の夢こそあはれなれ。

 ト花道より、お初、徳兵衛出る。お初は指の疵の痛むこなし。徳兵衛、いたわることあって、本舞台に来る。

徳兵衛 もしも道にて追手のかかり、別れ別れになるとても、

お初 浮名は捨てじと心懸け、剃刀、用意いたせしが、

徳兵衛 望みの通り、そなたと共に、

お初 一緒に死ぬる、

徳兵衛 この嬉しさ。

 ト此の時、鐘の音。

徳兵衛 あれ数うれば暁の、七ッの時が六つなりて、

お初 残る一つが、今生の鐘の響きの聞きおさめ、

 寂滅為楽と響くなり。鐘ばかりかは、草も木も空も名残りと見上ぐれば、雲心なき水の音、北斗は冴えて、影うつる星の、妹背の天の河、梅田の橋を鵲(かささぎ)の橋と契りていつまでも、

徳兵衛 われとそなたは、

お初 女夫(めおと)星。

               (中略)

お初 いつまで言うても詮ない事、はやはや殺して、殺して――

 最期を急げば心得たりと、脇差するり抜き放ち、

徳兵衛 サア、只今ぞ。

 ト此の時、下座にて一つ鉦。

 南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。

 ト徳兵衛、脇差をぬき、お初は瞑目して合掌する。

 誰(た)が告ぐるとは曾根崎の森の下風音に聞え、とり伝へ貴賤群衆(ぐんじゅ)の回向の種、未来成仏疑ひなき、恋の手本となりにけり。
   幕
    (『名作歌舞伎全集』第1巻、284-86頁) 


(2)

お初天神こと露天神社の所在地は、大阪市北区曽根崎二丁目、市営地下鉄・御堂筋線「梅田」駅で下車し、歩いて10分ほどで着きます。





案内板は境内の図が入っていて、文章も短く、分かりやすいです。



本殿の右から見て、



正面に行きます。



左手前には可愛い石像の「曾根崎道祖神」が、



大きな絵馬には干支が。



願いことを書く絵馬の絵柄はお初徳兵衛、文楽人形、鳥居などが見えますが、鈴なりに架かっています。



ここはやはり何んといっても『曽根崎心中』のお初徳兵衛です。ゆかりの石碑があり、



浄瑠璃の詞章も引用されています。












ゆっくり回って西門を出ると、



商店街につながる参道があります。こちらからお参りをする人も多いことでしょう。






   
(3)

『曾根崎心中』の初演は元禄16(1703)年、大阪・竹本座。歌舞伎化されての初演は享保4(1719)年、江戸・中村座。


昭和62(1987)年4月、国立劇場小劇場で初演(第143回歌舞伎公演)され、徳兵衛に中村智太郎(現・4代目中村鴈治郎)、お初は中村浩太郎(現・3代目中村扇雀)という配役でした。

平成23(2011)年11月、国立劇場開場45周年記念公演(第275回)として大劇場の舞台にかかり、天満屋お初を坂田藤十郎、徳兵衛は5代目中村翫雀(現・4代目中村鴈治郎)が演じました。

人形浄瑠璃として大当たりをとっただけに、歌舞伎でよりも、文楽ではるかに多く上演されています。

   
序幕の「生玉社」については「生國魂神社」をご覧ください。



お読みいただきありがとうございました。

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(2018(平成30)年8月2日)
 
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