歌舞伎の舞台名所を歩く |
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『妹背山婦女庭訓』 | |
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『妹背山婦女庭訓』(いもせやま おんなていきん)、通称『妹背山』の「春日神社社頭の場」、常磐津連中の出演です。 |
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言い初めて心変らば中々に契らぬ前ぞ恋すちょう、変わるまいぞの睦言に誰が水差せし憂き思い 包めど薫橘姫おもかげ隠す薄衣は、薄い緑かと気に懸る其恋人を道もせの心も心奈良の里、後を求女が慕い来て星の光に顔と顔 橘姫 求女様か。 求女 コレ。 ヤア恋人か何故ここに迄跡を追鳥は若しや塒の契をも、叶えて遣るとの御心かと胸には言えど詞には面羞ゆげなる草の露暫とこそは休らいぬ 求女 此処までは来たれども館の手前何とやら、其方は是より早う館へ帰って下され。 橘姫 そりゃお胴慾でござりまするわいなァ。 姫は思いに耐兼て館を出でし其日より君故ならば露と消え花とちりなん、我命惜しからぬとは思へども解けぬ貴方の御心は、あんまり結ぶの神さんを祈り過ごした咎めかと、恨みつ泣いつ縺(もつ)れよる姿やさしき姫蔦の離れ難なき、風情なり。 お三輪は後におくれ咲 花野に蝶のせかれ行く姿あいらし可愛らし 嬉しき中に繰り言もいとしいとしを苧環に 堪えぬ思いを乱合、露おおく野辺をうかうかと 道もせ気もせ心さえ己が羽風におどさるる、雀の森か宮が辻、尋ね徘徊い来りける 三輪 やあ求女様、ここにおいでなさんしたか、さあ私と一緒に三輪の里へ。 橘姫 いえいえそうはならぬ、さあ求女様、自らと御一緒においでなされませいなあ。 取る手も揺らぐ胸の火をお三輪は仲を押しへだて 三輪 ええ聞こえませぬ求女さま、そりゃ気の多い。 悪性なそもや私が初こいは思わで三輪の過ぎし夜に葉越の月の俤は、お公卿様やら侍様やら知れぬ姿振(なりふり)すっきりと水際の立つ好い殿御 他の女子は禁制と占めて固めし縁結び 主ある殿御を大胆な理なしに惚れるとはどんな本にもありゃせまい 女庭訓躾方よう見やしゃんせ、ええ、嗜みなされ女中さん いや其許(そもじ)とて父母(たらちね)の許せし仲でもないから恋は仕勝よ我が殿御 いや私が いや私がと 此方へ引けば 彼方が止どめ 互いに顔も朱奪う是も恋路の習いかや 雪月花を名所(などころ)になぞらえ言へばうれしかろ、いづれの月が気に入らんしゃんす何れの花が気に入らしゃんす、雪に恋路を鴫立沢の夕の文を巻立山に登るも恋の習いじゃものを浦の苫屋と思わんせ 名に負う三つの名所かや 恋のしがらみ蔦蔓えんの苧環、いとしさに余るお三輪が悋気の針、男の裾に附るとも知らずしるしの絲すじを慕いしとうて尋ね行く (『国立劇場122回歌舞伎公演プログラム』18-19頁) |
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春日大社は奈良市の春日町にあります。 近鉄「奈良」駅を出て、猿沢池を右に見て進むと、一の鳥居があります。 そこから長い参道を進むと、東大寺南大門から入るところと交わります。 左に万葉植物園があり、二之鳥居が見えます。 この鳥居をくぐると、手水舎「伏鹿手水所」があり、 左に末社が(参道には他の末社もいくつか)建っています。 まもなく本殿前に着きます。 左の回廊の前の多くの石灯篭をみて、南門を通ります。 すると正面に参拝所、この後ろに御本殿が建っています。 今回はここで手を合わせるのにどどめ、藤棚(満開の時に見てみたいものです)の脇を通って、左側から出ます。 藤の蔓のように円を描いている枝が見えますが、何の木でしょうか…。 広大な境内、苔むす参道、無数の石灯篭、そして朱の社殿…、神域であることを感じさせるに十分です。 |
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『妹背山婦女庭訓』の初演は、人形浄瑠璃・歌舞伎ともに大阪で明和8(1771)年。 国立劇場で昭和44(1969)年6月に初演時は、 道行道行恋のをだまき 布留の社頭の場 文楽座特別出演 その後の2度の再演では、 春日神社社頭の場 願絲縁苧環(ねがいのいとえにしのおだまき) 常磐津連中 場所は異なりますが、どちらも「序幕 蝦夷子館の場」に続く二幕目として上演されました。 「春日神社社頭の場」の公演年と配役です。 ①昭和58(1983)年11月(第122回歌舞伎公演) 烏帽子折求女(実は藤原淡海)・10代目市川海老蔵(後に12代目市川團十郎、入鹿妹橘姫 ・中村芝雀(現5代目中村雀右衛門)、杉酒屋娘お三輪・坂東玉三郎。 ②平成8(1996)年12月(第201回歌舞伎公演) 杉酒屋娘お三輪・4代目中村雀右衛門、烏帽子折求女・2代目尾上辰之助(現4代目尾上 松緑)、蘇我入鹿妹橘姫・尾上菊之助。 |
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なお初演の「布留の社頭」とは石上神宮のことで、こちらをご覧ください。 お読みいただきありがとうございました。 「歌舞伎の舞台名所を歩く」 HOME |
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(2019年12月13日撮影) |
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