歌舞伎の舞台名所を歩く

  北町奉行所跡


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小さい頃、東映の時代劇が大好きでよく見ましたが、その中に片岡千恵蔵(林家木久扇がときどき真似をしていますね)の遠山金四郎の映画がありました。金四郎は北町奉行で、最後はお白洲の場で、桜吹雪の刺青を見せて事件を解決することに決まっていました。

北町奉行所は東京駅の近くにあり、その跡が残ります。



JR東京駅で下車、大丸デパートの方から出て左へ行きます。



すると、すぐ左へ入る通りがあり、ここを進むと



角に「歴史散策マップ」があり、「北町奉行所跡の石組溝」と載っています。




進むと、ホテルが入ったビルがあり、




右の角に石組が見えます。





この先に「北町奉行所跡」の説明板があります。










ビルの谷間を進みますと、永代通りです。振り向くと、左にも入る路があり、東京メトロ「大手町」駅の出入り口があります。





このマップには「北町奉行所跡」が大丸のすぐ上に載っていますが、以前はここにあったホテルの前に石碑がありました。もうかなり前になりますが、偶然見つけて嬉しくなってシャッターを切ったその時のスナップです。



デパートの建て替えなどでこの周辺は一変しましたが、「北町奉行所跡」が装いも新たにしてあるのは嬉しいことです。

 
(2)
 
「遠山金四郎」について、事典の一部を写します。
 
  1793-1855(寛政5-安政2)
江戸時代末期の江戸北町奉行。名は景元(かげもと)。1841(天保12)、中村、市村の両座類焼を機に、老中水野忠邦は江戸芝居を全面的に廃止しようとしたが、遠山金四郎はそれに反対して辺地への強制移転を主張し、歌舞伎取りつぶしは免れた(天保の改革)。 

こうしたことが、下情に通じ、肩から両腕にかけて桜花の刺青をした名奉行で、市井にまぎれこんでは難問を解いていくという伝承を生み、講談などに使われた。現代でも「遠山の金さん」として映画、テレビなどで親しまれ、白洲で刺青を見せながら啖呵(たんか)を切るという型が踏襲されている。

1893年上演の、歌舞伎『遠山桜天保日記』(竹柴其水作)は、当時世上を騒がしたピストル強盗を金四郎が裁くというものである。
(『日本架空伝承人名事典』平凡社 1986)

この『遠山桜天保日記』(とおやまざくらてんぽうにっき)は、平成20(2008)年12月、国立劇場で六幕九場の通し狂言として上演(第261回歌舞伎公演)され、大詰が「北町奉行所白洲の場」でした。

関連で「南町奉行所跡」もご覧ください。
 


お読みいただきありがとうございました。

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(2019(平成31)年4月17日撮影)
 
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