歌舞伎の舞台名所を歩く

  南町奉行所跡

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南町奉行所跡がJR有楽町の駅前、中央口を出てすぐのところにあります。








側面を見ると、東京都指定の旧跡に認定されたのが大正7年、西暦1918年なのがわかります。



石組も残されています。






南町奉行所跡の碑は、有楽町駅が再開発される前は、今とは少し離れた場所にありました。




右に交通会館、向こうの東京国際フォーラムのビルはそのままです。



  
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平成9(1997)年10月、国立劇場で、河竹黙阿弥作『黄門記童幼講釈』 (こうもんき おさなこうしゃく)が,五幕十一場の通し狂言として上演されました(第204回歌舞伎公演)。四幕目第二場「南町奉行所白洲の場」でした。ただこの芝居の町奉行は川口摂津守で3代目河原崎権十郎が演じました。


北町奉行の遠山金四郎に対して、南町奉行の大岡越前守は、天一坊の事件を題材にした国立劇場の芝居に登場しました(お白洲の場はありませんでしたが)。

昭和47(1972)年3月、『扇音々大岡政談』(おうぎびょうし おおおかせいだん)(第48回歌舞伎公演)。

この時の配役は大岡越前守=17代目市村羽左衛門、山内伊賀亮=3代目河原崎権十郎、天一坊(実は法沢)=4代目尾上菊之助(現7代目尾上菊五郎)。これ以後何度も聴いた権十郎の口跡の素晴らしさは忘れられません。またこの時の菊之助は、翌年秋に菊五郎を襲名しました。


昭和54(1979)年8月に国立劇場小劇場で七幕九場の通しで上演(第99回歌舞伎公演)された河竹黙阿弥作『勧善懲悪覗機関』(かんぜんちょうあく のぞきがらくり )、通称「村井長庵」の大詰は「町奉行所白洲の場」。登場するのは大岡越前守なので、南町奉行所なのがわかります。


平成30(2018)年11月、『名高大岡越前裁』(なもたかし おおおかさばき)(第310回歌舞伎公演)。これは上記の芝居を脚色したものでした。




国立劇場公演チラシ 下はチラシの裏面(部分)


 チケット


ちなみに劇作家の岡本綺堂はこんなことを書いています。

  わたしが生まれてから、初めて劇場というものの空気のなかに押し込まれたのは、明治8年の2月であった。守田座はこの年から新富座と改称したので、その二月興行は「扇音々大岡政談」――例の天一坊で、それを書きおろした作者の河竹黙阿弥はその当時60歳であったということを後で知った。
 ( 『明治劇談 ランプの下にて』(岩波文庫, 1993)17-18頁) 

関連で北町奉行所跡もどうぞ。



お読みいただきありがとうございました。

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(2019年5月9日)
 
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